2010年12月28日火曜日

〈あきらめさせる船〉の存在意義 (辻井潤一)

飲み屋でよく見かけるポスター。世界平和や護憲を標榜する左翼系団体。格安の世界一周クルーズ。私がピースボートと聞いて想起できたイメージは、概ねこんなところだ。本書は、社会学専攻の現役大学院生が、ピースボートの世界一周クルーズに乗り込み行なった若者分析の報告である。著者自身も1985年生まれの若者であり、私と同い年である。

まず著者は、「頑張れば成長し続けられる」社会はとっくに幻想と化したにも関わらず、「あきらめるな」「やればできる」という前時代的なフレーズが若者たちを鼓舞し続け、結果、「終わりなき自分探し」を強いる社会になった、そしてピースボートは、その受け皿の典型例だと規定する。次に、自身が乗り込んだクルーズを通しての若者の分析を行なう。「目的性」と「共同性」の強弱で、「セカイ型」「自分探し型」「観光型」「文化祭型」の四つに若者を分類するが、共通しているのは、皆、広い意味で〈自分探し〉を目的で乗船していること。そして、平和や護憲を訴えていても、具体的な知識を持ち合わせていないことだ。著者は船内で学力テストを行なってまで、それを確認している。つまり、乗船する多くの若者にとって「世界」とは、茫漠とした具体性の無い概念でしかない。

クルーズにおける最も印象的なエピソードとして、スケジュールの遅延や主催者側の態度に対して、旅行目的で参加している高齢者たちが怒り、ビラでの抗議活動をしようとする様子が描かれているが、ここでも若者たちは、漠然とした「想い」や「願い」で分かり合おうと、高齢者たちと対立する。著者はその非合理的かつ感情的な姿勢を批判している。本書全体でも、クルーズに乗り込む多くの若者たちに対して、否定的な分析が多い。最後のまとめでは、「本書で見てきたのは、「居場所」という「共同性」に回収されてしまうことで、当初の「目的性」が冷却されてしまう可能性だ。(260p)」と語り、先行きが不明瞭な現代社会の中で若者を「あきらめさせる装置」として働くピースボートの存在を、最終的には肯定し、結んでいる。

軽やかな文体で読みやすい本書であるが、結論部にはいささか疑義を抱いた。著者は、結局この論考を通じて何を問題としていたのかが、最後の最後でぼやけてしまったからだ。しかし、モノグラフとして詳細な記述と分析がなされており、現代の若者を考察する上で、有益な一冊であることは間違いない。

(古市憲寿『希望難民ご一行様——ピースボートと「承認の共同体」幻想』光文社新書、2010年)

2010年12月23日木曜日

二千五百年前の「教養」論議 (大洞敦史)

本書が世に出た一九九〇年は、大学改革の前夜にあたる時期である。翌年以降、従来多くの四年制大学に設置されていた「教養課程」が続々と廃止されていった。こうした情勢を受けて、当時筑波大学でギリシア哲学を研究していた著者が自らの専門領域において今いちど「教養」の価値を吟味したものが本書である。その主題は、紀元前五世紀頃のアテナイで活躍したプラトンおよびイソクラテスという二人の思想家における教養(パイデイアー)の概念の比較にある。

イソクラテスという名は今日ではほぼ忘れ去られているといってよいだろう。彼はプラトンより九つほど年長で、プラトンが哲学学校「アカデメイア」を創立するのに数年先立ち弁論・修辞術の教育機関を同じアテナイ市内に開設していた。その学校は「一定の理念のもとで一定の場所において高等教育が授けられたという意味で〔中略〕プラトンの学園アカデメイアとともにギリシア世界における最初の高等教育機関」であったとされる。彼はここを根城に教育活動に励む一方、行政についても活発な発言を重ね、九八歳で大往生を遂げる寸前まで精力的に働いた。九四歳のとき長編論文『パンアテナイア祭演説』にとりかかり、四年後に完成させたという記録が残っている。

元来「養い育てる」という意味合いだった「パイデイアー」という言葉を、プラトンとイソクラテスは「徳(アレテー)をめざす教育」の代名詞として用いた。「有徳の士」の育成が「パイデイアー」の目的であることは両者の間で共通していたものの、徳という概念の内実や、それへと至るための道筋は、まるで異なるものであった。

イソクラテスにおける徳とは「善き思慮」と「善き言論」である。言論にかかわる能力をひとすじに練磨していくことこそが彼の考えるパイデイアーであった。一方プラトンにあっては「無知の無知」および「魂の不調和」と呼ばれる魂の欠陥を除去し清めていく事が「パイデイアー」であり、その具体例の一つは『国家』に記された数学や天文学を基礎とする「哲人王教育」である。

二種類の「パイデイアー」は、お互いに拮抗しながら後世の西洋世界に受け継がれていった。キケロやペトラルカが説いた人文主義はイソクラテスの伝統に、数理科学はプラトンの伝統に連なる。今日の日本の教育機関では後者が優勢のようだが、それも「パイデイアー」の片割れであってみれば、それほど嘆くべき事でもないのかもしれない。

(廣川洋一『ギリシア人の教育——教養とはなにか』岩波新書、一九九〇年)

2010年12月20日月曜日

声に出して読みたい太宰治 (大塚あすか)

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」――そんな文章からはじまる小説に、すこんと足下が抜けた。手に取る機会を逃し知識だけ頭に蓄え、今さら読んだことないというのも照れくさい、という気持ちの裏返しだったかもしれないが、太宰治は読まず嫌いだった。メロスってなんか暑苦しそうな奴。「生れて、すみません」なんて、いけすかない。そんなイメージだけで頑に敬遠してきたのに、『女生徒』であっさり落っこちた。

朝目覚めてから夜眠りに落ちるまで、ある一日に女学生がつらつら思うそのままを書き散らしただけの短編に、なにしろ驚いた。いくら女々しく繊細だとしても、男の太宰が愛らしく子憎たらしい女学生の自意識をなぜこんなにも瑞々しく書くことができるのか。そしてこの文章は何なんだと。思わず声に出して読み、その音にまた身悶える。

文章を不十分な表現手段だと思う頃があった。だって、文字だけじゃない。漫画だったら絵も字も使える。歌にはメロディがあるし、映画なんて、映像も音楽も言葉だって! それに比べて文字だけって、なんて寂しい。足りない。もどかしい。万が一そんなことを考えている人がほかにいるなら、まず『女生徒』を読むことだ。ただ並んでいる文字が、ときに絵となり音となり、それ以上の何かをもって感覚を刺激するのを味わうべきだ。言葉の並びに、日本語のかたちそのものが持つやわらかさ美しさを視覚で再確認する。少女の独白のなんとも言えないくすぐったさを肌に感じる。目で追うだけでもわかる小気味良いリズムは、こらえきれず口に出せば歌のように流れ出すだろう。

いくら少女ぶったところで、広告一文字あたりの値段に思いを馳せ、自らの言葉はすべて他人の本の受け売りなのではと思い煩う、よく読めば随所に作家売文家太宰の心情が吐露されているようで、また面白い。だからこそ、だ。いい大人の男である太宰が少女の顔で「朝は、意地悪。」なんて書くんだから、こちらが乙女ぶってこの作品を声に出しても恥ずかしいことなどあるものか。実際女学生なりし頃が遥か遠くなっても、わたしはときどき眠る前、『女生徒』の最後の部分を口ずさみたくなる。それは、こんな風。

「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京のどこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。」

(太宰治『女生徒』角川書店、1954年)

2010年12月14日火曜日

向坊衣代の36冊

1981年北九州市出身。大学では現代美術史を専攻。音楽教科書会社のアルバイト、財団非常勤職員、料理/環境系web編集などを経て現在、神保町勤務。最近はカヌーとイスラム文化に興味があります。小石川にてシェア生活6年目。
古本ユニットに参加したり、俳句zineなど作ったりしています。

1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
ジョン・ケージ/ダニエル・シャルル『小鳥たちのために』(青山マミ訳、青土社、1982年)
内田樹『死と身体』(医学書院、2004年)
フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』(澤田直訳、思潮社、2000年)
E・グリッサン『関係の詩学』(管啓次郎訳、インスクリプト、2000年)
郡司ペギオ幸男『生きていることの科学』(講談社、2006年)
絲山秋子「アーリオ・オーリオ」(『袋小路の男』所収、新潮社、2004年)
M・プイグ『蜘蛛女のキス』(野谷文昭訳、集英社、1988年)
須賀敦子『ヴェネツィアの宿』(文藝春秋、1998年)
濱田廣介『泣いた赤鬼』(偕成社、1965年)
吉本ばなな「パブーシュカ」(『吉本ばなな自選集(2)loveラブ』所収、新潮社、2000年)
タイガー立石『すてきにへんな家』(福音館、1992年)
R・バルト『彼自身によるロラン・バルト』(佐藤信夫訳、みすず書房、1997年)

2.自分が専門と呼びたい分野(美術、本、公共)の12冊
植田正治『Shoji Ueda Phorographs (1930's-1990's)』(植田正治写真美術財団)
大竹伸朗『武満徹:SONGS』(日本ショット、2000年)
ディック・ヒギンズ『インターメディアの詩学』(岩佐鉄男訳、国書刊行会、1988年)
瀧口修蔵展『夢の漂流物』(世田谷美術館、2005年)
宮川淳『宮川淳著作集』(美術出版社、1999年)
『わたしの家はあなたの家 あなたの家はわたしの家』(東京オペラシティギャラリー、2001年)
平出隆『葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社、2001年)
『アールヴィヴァン no.11 特集 フルクサス』(リブロポート、1983年)
中村敬治『現代美術/パラダイム・ロスト』(書肆風の薔薇、1988年)
Nicolas brouriaud, Relational aesthethics, Les Presse Du Reel, France, 1998
ジョナス・メカス『メカスの友人日記』(木下哲男訳、晶文社、1989年)
高橋睦郎『私自身のための俳句入門』(新潮社、1992年)

3.「現代性」を主題とする12冊
古橋悌二『メモランダム』(リトルモア、2000年)
伊藤比呂美『とげ抜き地蔵縁起』(講談社、2007年)
鷲田清一『「聴く」ことの力——臨床哲学試論』(阪急コミュニケーションズ、1999年)
中野民夫『ファシリテーション革命』(岩波書店、2003年)
R・パワーズ『ガラテイア2.2』(若島正訳、みすず書房、2001年)
村上春樹『神の子らはみな踊る』(新潮社、2000年)
東京大学cSUR-SSD研究会『世界のSSD100——都市持続再生のツボ』(彰国社、2007年)
スタッズ・ターケル『仕事!』(中山容約、晶文社、1983年)
ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(岸本佐知子訳、新潮社、2010年)
カポーティ『ティファニーで朝食を』(村上春樹訳、新潮社、2008年)
岡崎京子『ハッピィ・ハウス』(主婦と生活社、2001年)
芹沢高志『月面からの眺め——21世紀を生きるヒント』(毎日新聞社、1999年)

2010年12月12日日曜日

佐々木裕子の36冊

(自己紹介)
1981年生まれ。岩手県盛岡市出身。大学院生。フランス語圏カリブ海文学、特にエメ・セゼールの作品や政治活動に関心があります。「groovy」な音楽が好きで、そんな音を聴くと思わず踊ってしまいます。カラダを動かすことが好きです。

1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
エメ・セゼール『帰郷ノート/植民地主義論』(砂野幸稔訳、平凡社、1997年)
パウロ・コエーリョ『11分間』(旦敬介訳、角川文庫、2009年)
イジドール・デュカス『ロートレアモン全集』(石井洋二郎訳、筑摩書房、2005年)
ジャン=アンリ・ファーブル『ファーブル昆虫記第一巻 上』(奥本大三郎訳、集英社、2005年)
エドゥアール・グリッサン『全—世界論』(恒川邦夫訳、みすず書房、2000年)
畠山直哉『話す写真』(小学館、2010年)
モーリス・メルロ=ポンティ『間接的言語と沈黙の声』(朝比奈誼ほか訳、みすず書房、2002年)
宮澤賢治『風の又三郎(新編)』(新潮文庫、2006年)
中島敦『中島敦全集1』(ちくま文庫、2009年)
新倉俊一『詩人たちの世紀——西脇順三郎とエズラ・パウンド』(みすず書房、2003年)
F・D・ピート『シンクロニシティ』(管啓次郎訳、朝日出版社、1994年)
サン=テグジュペリ『人間の土地』(堀口大學訳、新潮文庫、2002年)

2.自分が専門と呼びたい分野(文学・身体・解放)の12冊
ガブリエル・アンチオープ『ニグロ、ダンス、抵抗——17~19世紀カリブ海地域奴隷制史』(石塚道子訳、人文書院、2001年)
パトリック・シャモワゾー『テキサコ上』(星埜守之訳、平凡社、1997年)
シャモワゾー/コンフィアン『クレオールとは何か』(西谷修訳、平凡社、2004年)
マリーズ・コンデ『生命の樹——あるカリブの家系の物語』(管啓次郎訳、平凡社、1998年)
フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』(海老坂武/加藤晴久訳、みすず書房、197
1年)
レオ・フロベニウス『ブラック・デカメロン』(大久保昭男訳、角川文庫、1976年)
グザヴィエル・ゴーチェ『シュルレアリスムと性』(三好郁朗訳、平凡社、2005年)
ヴィクトル・ユゴー『ビュグ=ジャルガル』(辻昶/野内良三訳、新潮出版社、2000年)
ジェームズ『ブラック・ジャコバン―トゥサン=ルヴェルチュールとハイチ革命』(青木芳夫監訳、大村書店、1991年)
ジャニーヌ・レヌッチ『コルシカ島』(長谷川秀樹/渥美史訳、白水社、1999年)
ジャン=ポール・サルトル『植民地の問題』(鈴木道彦他訳、人文書院、2000年)
ロベール・ショダンソン『クレオール語』(糟谷啓介/田中克彦訳、白水社、2000年)

3.「現代性」を主題とする12冊
C・N・アディーチェ『半分のぼった黄色い太陽』(くぼたのぞみ訳、河出書房新社、2010年)
M.バルガス=リョサ『緑の家<上>』(木村 榮一訳、岩波文庫、2010年)
ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳、青土社、1999年)
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』(木下誠訳、筑摩書房、2003年)
浜忠雄『ハイチ革命とフランス革命』(北海道大学図書刊行会、1998年)
木村朗子『恋する物語のホモセクシュアリティ――宮廷社会と権力』(青土社、2008年)
三浦永光(編)『国際関係の中の環境問題』有信堂高文社、2004年
永原陽子『「植民地責任」論——脱植民地化の比較史』(青木書店、2009年)
中村美亜『クイア・セクソロジー』(インパクト出版会、2010年)
ピエール・ノラ『記憶の場——フランス国民意識の文化=社会史<1>』(谷川稔訳、岩波書店、2002年)
小倉充夫『南部アフリカ社会の百年——植民地支配、冷戦、市場経済』(東京大学出版会、2009年)
鵜飼哲『主権のかなたで』(岩波書店、2008年)

2010年12月10日金曜日

例会第二回のご報告(大洞)

今回の出席者は14名。寄せられた原稿の数は作文3本と書評6本でした。前回と同様、作文2本と書評3本を取り上げて意見を交わしました。

今後は作文と書評を1本ずつ、担当制とする事に決まりました。毎回の例会の際に次回の担当者を募ります。

原稿(本文)の字数につきましては作文—3420字から3600字、書評—950字から1000字とし、この範囲内でなるべく字数が多くなるようにご推敲下さい。

原稿を印刷して配布する際、原則として大洞のほうで所定のレイアウト(縦書き/楷書)に揃えますが、テキストファイルのままでの印刷をご希望の場合は投稿の際に一言お知らせ下さい。

なお書評を定期的にここで掲載してまいりますので、これまでに投稿なされた方には再度のご推敲の後、大洞までお送り下さいますようお願いいたします。

次回は1月13日(木)の19時からです。1週間前の1月6日をひとまずの締め切りとします。ふるってご執筆ください。

2010年12月7日火曜日

原稿の字数について

お蔭様でここ数日の間にたくさんの原稿が届きました。
どうもありがとうございます。

ただ字数に関しまして、当方でまだあまり明確な規定を
設けていなかった事から、いくぶん戸惑わせてしまったかも知れません。

今後原稿を執筆されるにあたっては、 
作文は「3600字」、書評は「1000字」に
なるべく綺麗に収まるようご執筆ください。

紙媒体への印刷を想定しております事から超過は不可とし、
不足は5%まで(すなわち3420字以上、950字以上)と致します。

既に提出して頂いた原稿につきましても、後日でかまいませんので、
この字数に揃うように改めて推敲をお願い致します。

2010年11月22日月曜日

自己紹介(辻井潤一)

1985年、神奈川県生まれ。今春、多摩美術大学大学院を修了し、某メーカー系に入社。専門は現代美術研究。趣味はプロ野球観戦。学生時代はバレーボール部でした。ハタチの頃、コンビニで雇われ店長をしてたことがあります。

辻井潤一の36冊

1985年、神奈川県生まれ。今春、多摩美術大学大学院を修了し、某メーカー系に入社。専門は現代美術研究。趣味はプロ野球観戦。学生時代はバレーボール部でした。ハタチの頃、コンビニで雇われ店長をしてたことがあります。

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
イマヌエル・カント『判断力批判』上巻(岩波文庫、1964年)
ミシェル・フーコー『言葉と物――人文科学の考古学』(渡辺一民/佐々木明訳、新潮社、1976年)
佐藤信夫『レトリック感覚――ことばは新しい視点をひらく』(講談社、1978年)
壇一雄『火宅の人』下巻(新潮文庫、1981年)
ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、みすず書房、1979年)
東野芳明編『つくり手たちとの時間――現代芸術の冒険』(岩波書店、1984年)
ミッシェル・セール『五感――混合体の哲学』(米山親能訳、法政大学出版局、1991年)
今村仁司『近代性の構造――「企て」から「試み」へ』(講談社選書メチエ、1994年)
網野善彦『日本とは何か――日本の歴史<00>』(講談社、2000年)
宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』第6巻(講談社文庫、2002年)
中島義道『後悔と自責の哲学』(河出書房新社、2006年)
多田富雄『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)

(2)自分が専門と呼びたい分野(日本の「現代美術」が、「現代」美術でなくなるとき)の12冊
李禹煥『出会いを求めて――現代美術の始原』(田畑書店、1971年)
千葉成夫『現代美術逸脱史――1945~1985』(晶文社、1986年)
北澤憲昭『眼の神殿――「美術」受容史ノート』(美術出版社、1989年)
北澤憲昭『境界の美術史――「美術」形成史ノート』(ブリュッケ、2000年)
赤瀬川原平『反芸術アンパン』(ちくま文庫、1994年)
浅田彰/岡崎乾二郎/松浦寿夫共同編集『批評空間 (第2期臨時増刊号)モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(太田出版、1995年)
小島信夫『X氏との対話』(立風書房、1997年)
椹木野衣『日本・現代・美術』 (新潮社、1998年)
クレメント・グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄訳、勁草書房、2005年)
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜――視覚空間の変容とモダニティ』(遠藤知巳訳、以文社、2005年)
光田由里『写真、「芸術」との界面に――写真史一九一〇年代-七〇年代』(青弓社、2006年)
美術評論家連盟編『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)

(3)『現代性』を主題とする12冊
山藤章二編『山藤章二の似顔絵塾』(朝日新聞社、1991年)
西垣功『デジタル・ナルシス――情報科学パイオニアたちの欲望』(岩波書店、1991年)
モーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』(西谷修訳、ちくま学芸文庫、1997年)
『美術手帖 2000年9月号』特集:風景新次元――スーパーフラット・ランドスケープ(美術出版社、2000年)
ジョン・シーリー・ブラウン/ポール・ドゥグッド『なぜITは社会を変えないのか』(宮本喜一訳、日本経済新聞社、2002年)
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(北条文緒訳、みすず書房、2003年)
浅羽通明『教養としてのロースクール小論文』(早稲田経営出版、2005年)
トリシャ・ブラウン『思考というモーション』(木下哲夫/中井悠訳、ときの忘れもの、2006年)
リービ英雄『仮の水』(講談社、2008年)
大澤真幸『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫、2009年)
小嵐九八郎『柄谷行人 政治を語る――シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する〈1〉』(図書新聞、2009年)
古市憲寿『希望難民ご一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書、2010年)

2010年11月19日金曜日

自己紹介(近藤早利)

1959年生まれ。家族は妻と一男一女にチワワ一匹。墨東に住まう。
岐阜県の恵那・明智という山間の町に生まれ育ち、名古屋の東海高校へ。
管啓次郎くんは3年D組のクラスメイト。
一橋大学法学部に進み2年の留年、3年ほどの浪人を経て司法試験合格。
現在は弁護士。ビジネス系、倒産系、個人・家族系、犯罪弁護系なんでもやってきたが、いまは社長と直接話せる規模の企業の顧問業務が多い。
好きなことは、音楽を聴き、演奏すること、旅に出て写真を撮ること、すがれた店でおいしいお酒を呑むこと。そしてもちろん読書。
楽しい仲間を少しづつふやして、気持ちよく老いていきたいです。
ブログ 撫明亭日乗

近藤早利の36冊


1959年生まれ。家族は妻と一男一女にチワワ一匹。墨東に住まう。
岐阜県の恵那・明智という山間の町に生まれ育ち、名古屋の東海高校へ。
管啓次郎くんは3年D組のクラスメイト。
一橋大学法学部に進み2年の留年、3年ほどの浪人を経て司法試験合格。
現在は弁護士。ビジネス系、倒産系、個人・家族系、犯罪弁護系なんでもやってきたが、いまは社長と直接話せる規模の企業の顧問業務が多い。
好きなことは、音楽を聴き、演奏すること、旅に出て写真を撮ること、すがれた店でおいしいお酒を呑むこと。そしてもちろん読書。
楽しい仲間を少しづつふやして、気持ちよく老いていきたいです。
ブログ 撫明亭日乗



(1)考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊
夏目漱石『道草』(岩波書店、1942年)
伊丹十三『日本世間噺大系』(文藝春秋、1976年)
吉行淳之介 『私の文学放浪』(講談社、1976年)
山口瞳『酒呑みの自己弁護』(新潮社、1973年)
立花隆『宇宙からの帰還』(中央公論 1985年)
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店、1987年)
安土敏『ビジネス人生・幸福への処方箋』(講談社、1992年)
レイモンド・カーヴァー『ファイアズ(炎)』(村上春樹訳、中央公論社、1992年)
河合隼雄『中年クライシス』(朝日新聞、1993年)
宮脇壇『父たちよ家へ帰れ』(新潮社、1996年)
川本三郎『荷風と東京――「断腸亭日乗」私註』(都市出版、1996年)
玉村豊男『今日よりよい明日はない』(集英社、2009年)

(2) 専門と呼びたい分野(法社会学、法哲学、法と経済学)の12冊
川島武宜『日本人の法意識』(岩波書店、1967年)
P.G.ヴィノグラドフ『法における常識』(末延三次/伊藤正己訳、岩波書店、1972年)
加藤尚武 『ヘーゲルの「法」哲学』(青土社、1996年)
宮澤節生『法過程のリアリティ――法社会学フィールドノート(法学の泉)』(信山社、1999年)
萩原金美『法の支配と司法制度改革』(商事法務、2002年)
平野仁彦・亀本洋・服部高宏『法哲学』(有斐閣、2002年)
村山眞維・濱野亮『法社会学』(有斐閣、2003年)
ダニエル・H・フット『裁判と社会――司法の「常識」再考』(溜箭将之訳、NTT出版、2006年)
宇野重規『トクヴィル――平等と不平等の理論家』(講談社、2007年)
小坂井敏晶 『責任という虚構』(東京大学出版会、2008年)
太田勝造/濱野亮/村山眞維/ダニエル・H. フット『法社会学の新世代』(有斐閣、2009年)
スティーブン・シャペル『法と経済学』(田中亘/飯田高訳、日本経済新聞出版社、2010年)

(3) 「現代性」を主題とする12冊
野口三千三『原書生命体としての人間』(三笠書房、1972年)
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論新社、1977年)
宮本常一『家郷の訓』(岩波書店、1984年)
田中優子『江戸はネットワーク』(平凡社、1993年)
片岡義男 『日本語の外へ』(筑摩書房、1997年)
宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波書店、2000年)
森嶋通夫『イギリスと日本 その教育と経済』(岩波書店、2003年)
エマニュエル・トッド『帝国以後 アメリカシステムの崩壊』(石崎晴己訳、藤原書店、2003年)
内田樹『死と身体』(医学書院、2004年)
ジャレド・ダイヤモンド『文明の崩壊』(楡井浩一訳、草思社、2005年)
小松秀樹『医療の限界』(新潮社、2007年)
水村美苗『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房、2008年)

2010年11月17日水曜日

線路の上の教室 (大洞敦史)

誰かに対して愛情を抱いたら、相手のことをより深く知りたいと願うのが人の常だ。異国を愛した人ならば、その国をより深く知るために彼の地の言葉を身につけようとするだろう。愛の対象が異国の言葉そのものであったなら、これほど幸運なことはない。生身の人間や異国の土地と自己との間に横たわっている距離が、言葉においては不在だから。本書は中国語の入門書であると共に、中国語を愛してやまない著者がその心情を露わにした告白の書である。

著者は長年、中国語圏の新聞の人気コラムニストとして活躍してきた人で、二十冊近い中国語の著書がある。十九の春に藤堂明保から中国語の基礎を学び、翌年ひと月ほど北京に滞在する。ちょうど対日感情が悪化していた時期のことで、物陰からネギが飛んできたりもして第一印象はあまり明るいものではなかったようだ。ところが最後に修学旅行で訪れた江南地方にて北京とは全く異なる風景や文化習俗を目のあたりにし、中国の広さ多様さに衝撃を受ける。大学卒業後は新聞記者、のち文筆家として、大陸のほか香港や台湾、中国系移民の多いトロントなどを股にかけ筆を揮ってきた。

本書には中国語の枠組みをなす発想の仕方についての解説をはじめ、諺や慣用句、文法や発音の手ほどき、学習の秘訣、中国や台湾の人々の生活模様や料理、音楽、出版事情に関する話などが、無数の珍奇な体験談や苦労話を散りばめつつ語り下ろされている。著者が勧める学習法の中で面白いのは、中国の長距離列車で乗り合わせた人に片っ端から話しかけるというものだ。線路の上こそが著者自身にとっても最良の教室であった。ある旧正月の夜、列車の片隅にひとり坐っていた著者を乗務員たちが新年を祝う席に招き、御馳走をふるまってくれた。又ある時には車中で知り合った人から結婚式に出るよう言われ、来賓として挨拶まですることになった。

この本を読んだことをきっかけに中国語への愛情が筆者の内に芽生えたのは半年ほど前の事、今では日々中国や台湾の友人知人と片言で話し、メールを交わし、意思が通じ合うことの喜びと尊さを噛みしめている。過去三年ほど学んできたもののネイティヴと差し向かいで話す経験がほとんど得られなかったフランス語と較べ、愛着の強さにおいても習得の速度においても桁が違う。言語への愛は、人への愛に連結することで輝きを増していく。

(新井一二三『中国語はおもしろい』講談社現代新書、2004年)

2010年11月15日月曜日

自己紹介(大塚あすか)

九州出身、都内在住、都内勤務。
心ぜんぶ持っていかれるような小説が好き。部屋の隅で膝を抱えて聴くような歌が好き。きれいでちょっとだけグロテスクな映画が好き。散歩が好き、ワンピースが好き、道に迷うの大好き。
いつか「けむりちゃん」という名の猫と暮らすことを夢見ています。

大塚あすかの36冊


九州出身、都内在住、都内勤務。
心ぜんぶ持っていかれるような小説が好き。部屋の隅で膝を抱えて聴くような歌が好き。きれいでちょっとだけグロテスクな映画が好き。散歩が好き、ワンピースが好き、道に迷うの大好き。
いつか「けむりちゃん」という名の猫と暮らすことを夢見ています。



1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
 安倍能成ほか編『少年少女世界文学全集』(講談社、1959年)
高村光太郎『日本詩人全集9 高村光太郎』(新潮社、1971年)
コロナ・ブックス編『画狂人ホルスト・ヤンセン――北斎のまなざし』(平凡社、2005年)
ハーモニー・コリン『クラック・アップ』(山形浩生/渡辺佐智江訳、ロッキングオン、1998年)
安部公房『密会』(新潮社、1977年)
せなけいこ『ねないこだれだ』(福音館書店、1969年)
岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』(平凡社、2004年)
鴻池朋子『オオカミの道を捜して――鴻池朋子展記録集』(産経新聞社、2009年)
アゴタ・クリストフ『悪童日記』(堀茂樹訳、早川書房、1991年)
荒木経惟『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社、1991年)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(鼓直/木村榮一訳、筑摩書房、1988年)
エイミー・ベンダー『わたし自身の見えない徴』(管啓次郎訳、角川書店、2006年)

2.自分が専門と呼びたい分野(労働を通して考える「社会と個人との二重性」)の12冊
石井光太『物乞う仏陀』(文藝春秋、2008年)
ジグムント・バウマン『新しい貧困 労働消費主義ニュープア』(伊藤茂訳、青土社、2008年)
是枝裕和『官僚はなぜ死を選んだのか――現実と理想の間で』(日本経済新聞社、2001年)
トム・ルッツ『働かない――「怠けもの」と呼ばれた人たち』(小澤英実/篠儀直子訳、青土社、2006年)
大平貴之『プラネタリウムを作りました――7畳間で生まれた410万の星』(エクスナレッジ、2003年)
加藤恵津子『「自分探し」の移民たち――カナダ・バンクーバー、さまよう日本の若者』(彩流社、2009年)
森村進『自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門』(講談社、2001年)
トマス・ポッゲ『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』(立岩真也訳、生活書院、2010年)
見田宗介『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)
内田樹『下流志向――学ばない子どもたち働かない若者たち』(講談社、2007年)
本田由紀『教育の職業的意義』(筑摩書房、2009年)
アプトン・シンクレア『ジャングル』(前田河廣一郎訳、春陽堂書店、1932年)

3.「現代性」を主題とする12冊
楳図かずお『わたしは真悟』(講談社、2000年)
多和田葉子『母語の外へ出る旅』(岩波書店、2003年)
リン・ディン『血液と石鹸』(柴田元幸訳、早川書房、2008年)
トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(志村正雄訳、筑摩書房、1992年)
デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語――人類の知的遺産をいかに守るか』(斎藤兆史/三谷裕美訳、中央公論新社、2004年)
現代企画室編『大岩オスカール――グローバリゼーション時代の絵画』(現代企画室、2008年)
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』(日高敏隆/羽田節子訳、岩波書店、2005年)
クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、2001年)
筒井康隆『残像に口紅を』(中央公論社、1995年)
柳父章『翻訳語成立事情』(岩波書店、1982年)
前田累『紙の本が亡びるとき?』(青土社、2009年)
ニコラス・ハンフリー『赤を見る――感覚の進化と意識の存在理由』(柴田裕之訳、紀伊国屋書店、2006年)

2010年11月12日金曜日

リーディング・リストの書式について

和書の基本形式: 著者名『書名――副題』(訳者名、出版社、出版年)
・記号およびアラビア数字はすべて全角で。
・副題がある場合は、書名との間に「―」(ダッシュ)を二つ重ねる。
・著者や訳者が複数の場合は「/」(全角スラッシュ)を人名の間に挟む。
・編集や監修の場合は、それぞれ「(人名)編」「(人名)監」などとする。
・スペースは打たない。

洋書の基本形式: 著者名, 書名, (出版社, 発行年)
・すべて半角で。
・書名はクォーテーション(" ")などで挟まず、そのままで。

その他:
・「(2)専門と呼びたい分野( )の12冊」の( )の中にはお好きな言葉を入れてください。
・シリーズ物の場合は、最も重要と思える巻をお選びください。
・ご提出の際は、ご本名と簡単な自己紹介文をお書き添えの上、大洞(atsdd.eventアットgmail.com)までお送りください。

(大洞筆)

ありがとうございました (管啓次郎)

本日、読み書きクラブの第1回。19名参加という、
予想を上回るにぎわいで、充実した2時間をすごしました。

とにかく自分で文を書かなくてはお話にならないので、臆することなく毎月の課題をこなしてください。成績をつけるわけでも、やらなくても罰則があるわけでもありません。すべてはひとりひとりのやる気にかかっています。

このブログも気楽に利用して、種々の情報交換の場といたしましょう。大洞くんにはお手数ですが、よろしく。

それではまた来月! 秋から冬にむかう日々を大切にすごしましょう。

2010年11月2日火曜日

自己紹介(大洞敦史)

1984年生まれ。多摩川のほとりで育つ。中学1年から不登校。6年間のパチンコ生活、大検と放送大学を経て、2010年4月より明治大学大学院DC系管啓次郎研究室に所属。生活綴り方運動の歴史を研究中。趣味は三線、中国語、深夜の散歩など。愛する土地は台湾、神保町、札幌、宮古島、パリなど。私塾の精神に則った異なる者同士の集いの場をつくることが夢。
ブログ「ことば鉄道のホーボー」。facebook:Atsushi Daido

大洞敦史の36冊


1984年生まれ。多摩川のほとりで育つ。中学1年から不登校。6年間のパチンコ生活、大検と放送大学を経て、2010年4月より明治大学大学院DC系管啓次郎研究室に所属。生活綴り方運動の歴史を研究中。趣味は三線、中国語、深夜の散歩など。愛する土地は台湾、神保町、札幌、宮古島、パリなど。私塾の精神に則った異なる者同士の集いの場をつくることが夢。
ブログ「ことば鉄道のホーボー」。facebook:Atsushi Daido



(1)考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊
アラン『わが思索のあと』(森有正訳、思索社、1949年)
エーリッヒ・フロム『生きるということ』(佐野哲郎訳、紀伊国屋書店、1977年)
大越俊夫『幻の鯉のぼり――師友塾物語』(白揚社、1995年)
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社、1993年)
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(高橋義孝訳、1951年)
佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年)
管啓次郎『トロピカル・ゴシップ――混血地帯の旅と思考』(青土社、1998年)
『デカルト=エリザベト往復書簡』(山田弘明訳、講談社学術文庫、2001年)
東井義雄『東井義雄詩集』(探究社、1989年)
福永武彦『愛の試み』(新潮文庫、1975年)
『プラトン全集11 国家』(藤沢令夫訳、岩波書店、1976年)
森信三『修身教授録』(致知出版社、1989年/復刻版)

(2)専門と呼びたい分野(作文哲学、生涯学習、生活形象論)の12冊
芦田惠之助『綴り方十二个月』(文化評論出版、1971年/復刻版)
梅田卓夫/服部左右一/清水良典/松川由博『新作文宣言』(筑摩書房、1989年)
工藤庸子/岩永雅也『大人のための「学問のススメ」』(講談社現代新書、2007年)
鶴見和子『コレクション鶴見和子曼荼羅 人の巻――日本人のライフ・ヒストリー』(藤原書店、1998年)
西川祐子/杉本星子編『共同研究 戦後の生活記録に学ぶ 鶴見和子文庫との対話・未来への通信』(日本図書センター、2009年)
日本作文の会編『生活綴方事典』(明治図書出版、1958年)
橋本義夫『だれもが書ける文章――「自分史」のすすめ』(講談社現代新書、1978年)
長谷川宏『おとなと子どもの知的空間づくり――赤門塾の20 年』(明治図書、1990年)
ベアトリス・ディディエ『日記論』(西川長夫/後平隆訳、松籟社、1987年)
宮川俊彦『作文おもしろ教室』(郁朋社、1986年)
無着成恭『山びこ学校』(青銅社、1951年)
上海市金山区文化局編『中国农民画——金山、东丰、户县、湟中、綦江五地作品集』(出版社・発行年不明)

(3)「現代性」を主題とする12冊
イバン・イリイチ『生きる意味――「システム」「責任」「生命」への批判』(デイヴィッド・ケイリー編、高島和成訳、藤原書店、2005年)
磯貝日月編『環境歴史学入門――あん・まくどなるどの大学院講義録』(アサヒビール、2006年)
伊藤隆二『なぜ「この子らは世の光なり」か』(樹心社、1990年)
今福龍太『群島―世界論』(岩波書店、2008年)
伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う――現代移民研究の課題』(有信堂高文社、2007年)
衞藤瀋吉『近代東アジア国際関係史』(東京大学出版会、2004年)
勝方=稲福恵子/前嵩西一馬編『沖縄学入門――空腹の作法』(昭和堂、2010年)
ジグムント・バウマン『コミュニティ――安全と自由の戦場』(奥井智之訳、筑摩書房、2008年、原著2001年)
柳宗玄『かたちとの対話』(岩波書店、1992年)
山口昌男『いじめの記号論』(岩波現代文庫、2007年)
米山優『自分で考える本――情報から創造へ』(NTT出版、2009年)
ヨハネス・メスナー『自然法――社会・国家・経済の倫理』(水波朗/野尻武敏/栗城寿夫訳、ドン・ボスコ社、1957年)

2010年10月22日金曜日

自己紹介(安西洋之)

1958年横浜市出身。上智大学文学部仏文科卒業。
日本の自動車メーカーに勤務後、イタリアでビジネスプランナーとして独立。現在、ミラノ在住。デザイン、食品、文化論などを活動領域とする。著書に『ヨーロッパの目 日本の目——文化のリアリティを読み解く』。日経ビジネスオンライン「異文化市場で売るためのモノづくりガイド——ローカリゼーションマップ」を連載。
ブログ「さまざまなデザイン」、Twitterは@anzaih

2010年10月21日木曜日

仲野孝比古の36冊

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
H・D・ソロー『市民の反抗――他五篇』(飯田実訳、岩波文庫、
1997年)
アルフォンソ・リンギス『 汝の敵を愛せ』(中村裕子訳、洛北出版、2004年)
ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(高橋英夫訳、中公文庫、1973年)
森巣博『無境界の人』(集英社、2002年)
森毅『数の現象学』(筑摩書房、2009年)
和辻哲郎『風土――人間学的考察』(岩波文庫、1979年)
大江健三郎『宙返り』(講談社、1999年)
宮沢賢治著、谷川徹三編『宮沢賢治詩集』(岩波文庫、2007年)
中原中也『山羊の歌・在りし日の歌』(筑摩書房、1953年)
高橋悠治『音楽の反方法論序説』(青空文庫、1997年)
J・M・G・ル・クレジオ『砂漠』(望月芳郎訳、河出書房新社、2009年)
ドナルド・E・クヌース『文芸的プログラミング』(有沢誠訳、アスキー、1994年)

(2)自分が専門と呼びたい分野(ちぐはぐ、跛行、畸形性)の12冊
スウィフト『ガリバー旅行記』(原民喜訳、講談社文芸文庫、1995年)
シェリー『フランケンシュタイン』(小林章夫訳、光文社古典新訳文庫、2010年)
アイザック・アシモフ『ファウンデーション』(岡部宏之訳、早川書房、1984年)
江戸川乱歩『芋虫』(角川ホラー文庫、2008年)
カフカ『変身』(高橋義孝訳、 新潮文庫、1952年)
宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店、1984年)
野坂昭如『エロ事師たち』(新潮文庫、1970年)
山口昌男『道化的世界』(ちくま文庫、1986年)
ベルクソン『笑い』(林達夫訳、岩波書店、1976年)
ロジェ・カイヨワ『反対称――右と左の弁証法』(塚崎幹夫訳、思索社、1991年)
A.J. Racy, Making music in the Arab world---the culture and artistry
of Tarab (Cambridge University Press, 2003)
James Joyce, Ulysses (Penguin Modern Classics, 2000)

(3)分野を問わず「現代性」を主題とする12冊
今福龍太『群島―世界論』(岩波書店、2008年)
ナーガールジュナ『中論』(西嶋和夫訳、金沢文庫、2006年)
ジョージ・オーウェル『一九八四年』(高橋和久訳、ハヤカワepi文庫、2009年)
ガッサーン・カナファーニー『ハイファに戻って/太陽の男たち』(奴田原睦明/黒田寿郎訳、河出書房新社、2009年)
エドワード・W・サイード『パレスチナとは何か』(島弘之訳、岩波現代文庫、2005年)
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(北條文緒訳、みすず書房、2003年)
ミロラド・パヴィチ『ハザール事典――夢の狩人たちの物語(男性版)』(工藤幸雄訳、東京創元社、1993年)
ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』(野崎昭弘/はやしはじめ/柳瀬尚紀訳、白揚社、1985年)
ヴィレム・フルッサー『デザインの小さな哲学』(瀧本雅志訳、鹿島出版会、2009年)
クロード・E・シャノン、ワレン・ウィーバー『通信の数学的理論』(植松友彦訳、筑摩書房、2009年)
吉増剛造『表紙――Omote-gami』(思潮社、2008年)
徳丸吉彦/高橋悠治/北中正和/渡辺裕編『事典世界音楽の本』(岩波書店、2007年)

安西洋之の36冊


1958年横浜市出身。上智大学文学部仏文科卒業。
日本の自動車メーカーに勤務後、イタリアでビジネスプランナーとして独立。現在、ミラノ在住。デザイン、食品、文化論などを活動領域とする。著書に『ヨーロッパの目 日本の目——文化のリアリティを読み解く』。日経ビジネスオンライン「異文化市場で売るためのモノづくりガイド——ローカリゼーションマップ」を連載。
ブログ「さまざまなデザイン」、Twitterは@anzaih



(1)考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊
スタンダール『赤と黒』(桑原武夫生島遼一訳、岩波文庫、1958年)
桑原武夫『文学入門』(岩波新書、1963年)
林達夫/久野収『思想のドラマトゥルギー』(平凡社、1974年)
加藤周一『羊の歌』(岩波新書、1968年)
庄司薫『さようなら怪傑黒頭巾』(中央公論社、1968年)
梅棹忠夫『文明の生態史観』(中央公論文庫、1974年)
真木悠介『気流の鳴る音』(筑摩書房、1977年)
バーガー=ルックマン『日常世界の構成』(山口節郎訳、新曜社、1977年)
『カーデザインの巨人 ジウジアーロ』(小学館、1985年)
『ピエール・ルイジ・ネルヴィ』(プロセス・アーキテクチャー、1981年)
宮川秀之『われら地球家族』(評伝社、1988年)
陣内秀信『イタリア都市再生の論理』(鹿島出版会、1978年)

(2)専門とする分野(ヨーロッパ文化とデザイン)の12冊
ブローデル『地中海世界』(神沢栄三訳、みすず書房、1990年)
佐藤和子『「時」に生きるイタリア・デザイン』(三田出版会、1995年)
武者小路公秀/蝋山道雄編『国際学――理論と展望』(東京大学出版会、1976年)
平野健一郎『国際文化論』(東京大学出版会、2000年)
D.A.ノーマン『誰のためのデザイン? 認知科学者のデザイン原論』(野島久雄訳、新曜社認知科学選書、1990年)
ヤコブ・ニールセン『ユーザビリティエンジニアリング原論』(篠原稔和/三好かおる訳、東京電機大学出版局、1999年)
岩田誠『見る脳・描く脳――絵画のニューロサイエンス』(東京大学出版会、1997年)
森明子編『ヨーロッパ人類学――近代再編の現場から』(新曜社、2004年)
エドガー・ホール『かくれた次元』(日高敏隆/佐藤信行訳、みすず書房、1976年)
ジャン・モネ『回想録』(近藤健彦訳、日本関税協会、2008年)
加藤周一『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年)
Magnificenza e Progetto -cinque cento anni di grandi mobili italiani
a confronto (Skira, 2009)

(3)「現代性」を主題とする12冊
村上隆『芸術起業論』(幻冬舎、2006年)
水谷修ほか『いいじゃない いいんだよ』(講談社、2005年)
近藤健『反米主義』(講談社現代新書、2008年)
水村美苗『日本語が亡びる時』(筑摩書房、2008年)
宮台真司『日本の難点』(幻冬舎新書、2009年)
福野礼一郎『クルマはかくして作られる』(二玄社、2001年)
小山登美夫『現代アートビジネス』(アスキー新書、2008年)
Kazuo Ishiguro, The remains of the day (Faber and Faber, 1989)
ファビオ・ランベッリ『イタリア的――「南」の魅力』(講談社、2005年)
福島清彦『ヨーロッパ型資本主義』(講談社現代新書、2002年)
藤村信『ヨーロッパで現代世界を読む』(岩波書店 2006年)
フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』(村上春樹訳、中央公論社、2007年)

ご挨拶 (管啓次郎より)

2009年度前期に組織した「外部ゼミ」(明治の学生以外の人たち、多くは社会人、に大学院ゼミに参加してもらい相互の刺激とする)は一定の成果をあげました。今年度は所用が多くなかなか踏み切れませんでしたが、外部ゼミ再開を望む声を受けて、以下のような作文道場的試みを始めることにしました。

参加希望の方は直接、例会開催時に、明治大学猿楽町校舎にいらしてください。

今回も個人リーディング・リストの作成から入り、あとは作文ならびに書評執筆のワークショップとして運営します。みるみる文章力がつくことは確実です。

*****

ノンフィクション散文の執筆と書評の練習をめざす「読み書きクラブ」を始めます。興味のある方は、ぜひともお誘い合わせの上、お気軽にご参加ください。

名称「読み書きクラブ」

参加自由。いうまでもなく無料です。

参加資格を問わず。初めは全員が「準会員」として参加します。

まず以下の方針にしたがって、銘々で「36冊の個人リーディングリスト」を作成してください。

リストは以下の3分類にしたがって、各12冊から構成されます。すでによく読んだ本だけでなく、これから読もうと思っているものを含めてかまいません。今後の自分の指針を確認するための作業です。

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす本を12冊。
(2)自分が専門と呼びたい分野(「デザイン」でも「写真」でも「ファッション」でも)の本を12冊。
(3)分野を問わず「現代性」を主題とする本を12冊。

このリストが完成した時点で、会の書記である大洞くんに送ってください。リストはぼくがチェックし、承認した場合、会のブログにアップします。その時点でステータスは「正会員」に移行します。

会員は、正会員・準会員を問わず、以下の作業をそれぞれ進めて行くこと。

(1)作文練習。400字9枚を単位とする。題材自由。ただし自分の人生における読むことから書くこと生きることへの道筋にふれるのが望ましい。何本でもいいが、月に1本は書くこと。
(2)書評練習。400字2・5枚を単位とする。月に1本は書くこと。(書評はいうまでもなくどんな本を対象にしてもかまいません。リーディングリストとは独立。)

同時に、都合のつく限り、正会員・準会員を問わず、毎月の例会に参加してください。

例会は毎月第2木曜日の午後7時〜9時、明治大学猿楽町校舎でおこなう。

例会は以下のように運営する。

(1)9枚の原稿を読み、徹底的に添削し議論する。毎回2名分。60分。
(2)書評の添削と議論、毎回3名分。30分。
(3)発展的議論。30分。

9枚のエッセーで、しかるべき水準のものが36本たまった時点で、原稿量にして324枚程度の本を作ることをめざす。

書評については、会のウェブサイト(ブログ)に載せてゆく。会全体として、毎週1本、最低でも月4本の追加が目標。

読み書きクラブの書記として大洞敦史を任命する。書記は連絡係ならびにウェブサイト運営を務める。

リーディングリストならびに書評原稿は書記に投稿し、書記がアップロードする。

作文原稿は書記が集約し、例会に際してコピーを配布する。

例会は早速、11月11日(木)から開始する。第1回の批評対象作品を提出できる人が2名、書評3名が必要です。名乗り出てください。

以上。