2011年10月25日火曜日

ウミガメ (原 瑠美 作文)

この夏、私はウミガメに出会った。それは本当に奇跡のような出会いだった。ハワイで、わざわざウミガメを探しに出かけたのだから当然と言えば当然かもしれないが、一匹も見つけることができない場合だってあるだろうし、たとえ見つかったとしても、いつもその出会いにふさわしい状況だとは限らない。その点、私たちの出会いは完璧だった。まわりに人影はなく、ウミガメもたった一匹で、空は青く、時間はたっぷりあった。

子供の頃から海が好きだった。大きくなったら七つの海を渡り歩く冒険者になりたかった。いつか自分で船を持って、絶滅したと言われるドウドウ鳥を探しに行こうと計画していた。その頃はなぜかドウドウはアフリカではなくオーストラリアにいたものだと思っていたが、子供にとってはどちらも変わらないくらい遠い、未知の領域だ。私は海を見ては未来の冒険を思ってわくわくしていた。しかし、自分が海そのものに惹きつけられていることを初めて意識したのは、高校生の頃だったかもしれない。

高校一年の夏休み、家族でイスラエルに行って、そこで初めて地中海を見た。母は現地で仕事をしなければならなかったので、私は弟と二人でテルアビブのビーチに来ていた。空よりも暗い色をした海を眺め、潮の匂いを吸い込むと、力がみなぎってくる。海に入ると水は体温と同じくらいに暖かく、肌のようになめらかで、私と海との境目がわからないくらいだった。人間は海から来たのだと確信して、私はどんどん沖へと向かった。「待って〜」とか細い声が聞こえて我に返ると、お互いが小さく見えるくらいの距離から弟が私を呼んでいる。私はまだ肩で波を切って歩いていたが、弟はもう足がつかなくなってしまったらしい。私は引き返して水中で弟を軽々と抱き上げ、巨人にでもなったような気分でもう一度海の中を進んでいった。穏やかな波が私のあごの下で弾ける。これ以上行くと二人で水の底を歩いて行かなければならないくらいのところまで来て、私は立ち止まった。小鳥のように小さな弟は、私の肩にしがみついている。五歳しか離れていないのに、私はこんなにも大きく、弟はこんなにも小さいのが不思議だった。私はしっかりと足をふんばって弟を少し持ち上げ、海を見せてやった。すばらしい気分だった。

ハワイの海は、イスラエルのそれとは比べものにならないほど明るい色をしている。海水はどこでも透き通っているが、やはりワイキキではウミガメ級の生き物を見ることはできないらしい。そこで最終日にラニカイビーチに出かけた。オアフ島ではとりわけ海の透明度が高くて有名なところだ。シュノーケル貸しのお兄さんは、「今はカメの季節じゃないからね」と私の冒険に懐疑的だったが、とりあえず、という感じでウミガメがいそうなスポットをいくつか教えてくれた。一人で海に行くと、泳いでいる間の荷物番がいないので緊張するものだが、お兄さんはこれにもよい対処法を教えてくれた。ビーチに敷いておく敷物の上をタオルや服で乱雑にしておき、貴重品は敷物の下に入れておくと、まず盗られることはないらしい。とにかく散らかっている感じを出すのがポイントだと言う。ビーチに着くと私はその通りにして海に入った。

ウミガメは諦めかけた頃に現れた。熱帯魚にも見慣れてきたな、などと考えていたところ、突然黒くて丸いものが目に入った。大きな目をして、口元には微笑をたたえたウミガメだ。その表情に、私は釘づけになった。海の底に沈んでいたウミガメがスイスイと泳ぎはじめたので焦ったが、近づいてみると案外ゆっくりと進んでいる。私は一緒に泳いでいくことにした。カメは急に上昇し、まさかと驚いている私のすぐ目の前で、海面から顔を出して息つぎをした。ウミガメと一緒に顔を上げると、波の向こうにとんがり帽子の無人島が二つ見えた。私は笑いだした。シュノーケルがブクブクと鳴った。ウミガメはにやりとしてまた泳いでいく。どこまでもついていけそうな気がした。すばらしい気分だった。

ふと気づくと随分沖の方まで来てしまっていて、私は突然こわくなった。それまで自分の体と一続きのもののように思っていた海が急に冷たく感じる。ウミガメの顔には離れがたい魅力があったが、私は意志の力を結集して前に進むのをやめた。さよならのつもりでブクブクとやってみせたが、ウミガメはもちろん振り返りもせず、海の青にまぎれてしまった。

あの息つぎでウミガメが見せてくれた海は、私の記憶の中で特別な位置を占めはじめている。ずっと前に弟に見せてやった海も、彼にとって特別な海になったのだろうかと考える。ここからやって来たことは確かなのに、もう二度と本当には戻ることはできない海。海は、世界との一体感を感じさせてくれると同時に、自分と他者との隔たりを、強烈に意識させてくれるものであるらしい。そんな海を見に、海を感じに、私はまた出かけていくと思う。

2011年10月19日水曜日

「かわいい人」(原 瑠美 書評)

 小さな星からやってきた王子さまが、こんなにもかわいいと思ったことはない。今までに何度か読んだことがある『星の王子さま』では、王子はいつもお話の中の存在だった。「ぼく」と王子の出会いは遠い砂漠で起こった、もしかすると夢の中のことだったかもしれない出来事。それが今、王子は自分よりも小さな、守るべきものとして、確かに存在したのだと思える。

 この本で、訳者はル・クレジオ原作の映画『モンド』の主人公に、王子の姿を重ねていると言う。どこからともなく街にやって来て、人々とふれあい、また去っていくストリート・キッドだ。確かに王子も風のように現れ、生意気な話し方で突然「ぼく」に馴れ馴れしく近づいてくる。「ちび王子」と呼ぶにふさわしい、ひょうひょうとした表情が目に浮かぶ。そんな王子に、「ぼく」はいらいらさせられることもある。しかし王子が泣き出すと、「ぼく」はいてもたってもいられなくなり、乗ってきた飛行機は故障していて、一人で砂漠に取り残されているという差し迫った状況も、王子をなぐさめることと比べたら、どうでもよいことに思えてくるのだ。

 王子が自分の星を捨てて地球にやってきたのは、どうやら星に一本だけ生えていた、薔薇の花が原因らしい。花は信じられないほど美しく、王子を幸せな気持ちにさせてくれたが、とても気取り屋で、傲慢でもあった。彼の愛を試すように薔薇が繰り出す馬鹿げた言葉に嫌気がさして、ある日ついに旅立ってしまったことを、王子は後悔しているように見える。花の言うことは、「やさしい気持ちで聞き流してやればよかった」と「ぼく」に語る。そして王子のこの薔薇への思いこそが、彼をとても壊れやすいものに見せているのだ。

 かわいいかわいいちび王子。王子に何かしてやるだけで、「ぼく」は「パーティみたいにすてきな気分」になることができる。その反面、王子の寂しさに触れて、「ぼく」は心を痛めもする。そんな「ぼく」の語る言葉に、私たち読者の心もまた、喜びと悲しみの間を大きく揺れ動く。

 読書というのはつらい行為だ。せっかく始まった物語が、いつか必ず終わってしまうのだから。物語と出会うためには、終わりへと自ら向かっていかなければならない。ちび王子に会うには、彼と別れる覚悟をしなければならないのだ。けれどこうして物語の寂しさを現実の痛みとして受けとめるとき、読書は意味のある時間に変わるのかもしれない。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』管啓次郎訳、角川文庫、2011年)

2011年10月15日土曜日

神は何をしていたのか (Chiara作文)

震災から二週間ほど経った頃、代母(洗礼名の名付け親。生涯を通して信仰の先導役となることを期待される役目。男性ならば代父、いわゆるゴッドファーザーである。)からメールで添付ファイルをひとつ受け取った。中高のクラブの顧問であり恩師である代母は教育の一線を退き、米国中西部の雪深い地の、自分より老いたシスター達が暮らす修道院で奉仕しながら大学院に通っている。八〇歳まであと一息。長年英語教師として教鞭を執ってきたが、さらに宗教の教師資格を取ろうというのである。
肥満にして高血圧、飽くなき食欲と戦うこともなく、彼女のなすがままの生活習慣を見て「まだまだお迎えはこないでしょう。」と断言できる医師は誰もいまい。もはや半数以上の脳細胞が壊滅状態にあるそのおツムに何を詰め込むのか。ピカピカの新しい知識は教壇で披露されることもないままポンコツな肉体とともに昇天してしまうに違いない、と不肖の教え子ならずとも考える。「あそこは寒いんだから。外と内の温度差でさらに血圧は上がるだろうし、雪かきだって先生にはできないでしょ。ほとんどくたばりに行くようなもの。悪いこたあ言わないから、やめときなさいってば。」と止めてはみたが、耳が遠いのと相まって聞く耳を持たない。「わたしゃ行くのよ。絶対行くのよ。」と言いながら旅立った。
さらに特異な恩師のキャラはかなりのお節介。「生きているならウンとかスンとか言わんかい。」と忙しい私にせっせとメールを送りつける。時には「うちのシスター達が観たいと言っているから、ローマに行って教皇様のビデオを買ってこい。」と呆れるような命令も下す。面倒なのが、ボケ防止なのか、それとも昔の記憶は鮮明だが最近の記憶は不明瞭だからなのか、50年前に留学したイタリアが懐かしいらしく、イタリア語を交えたメールを送りつけてくることだ。イタリア語の習得をとっくの昔に放棄した私を困惑させていることがわかっていない。
とはいえ、彼女のお節介も的をすっかりはずしているわけではない。私は神学大学で学び、神学の理解という意味では代母の「導き」を必要としてはいないが、信仰の面では幼稚園児並みだからである。毎日曜日のミサには「説教がつまらない。」「日曜の朝に起きろって? ムリムリ。」と難癖をつけて行かないから、いまだに式次第が頭に入っていない。立ってはいけないところで立ちあがり、切ってはいけないところで十字を切る。祈祷文もまったく違う文言を口走るし、「さあ、みなさんでロザリオの祈りをいたしましょう。」なんて言われると、お経は勘弁してよと思いながら、携帯を耳に当て存在しない相手に「あー、それでは今すぐ確認します。」なんて言いつつ会堂を逃げだす。私が洗礼を受けたことを知った母校の機関誌に、「札付きの不良学生が卒業後二十数年を経て洗礼を受けました。神はそのときをじっと、忍耐強く待っておられたのでしょう。神には神のときがある、その言葉を体現するような事例ではないでしょうか。このようなこともあるのですから、私達も諦めずに宣教に励みましょう。」と書かれて憤慨したこともある。こんなだから、年老いた代母はしょっちゅう連絡してきては、「もうすぐ復活祭です。御復活の前には告解をして悔い改め、清々しい気持ちでその日を迎えましょう。」などとメールをよこす。” I have nothing to confess!(懺悔しなきゃならないことはなんにもありませんから)” などと教え子がキリストに向かって悪態をついているとは露ほども知らずに。
しかし、不肖の代子(信仰上の子供)も不承不承神と向き合わなくてはならぬときがある。
三月十一日、東北の太平洋沿岸部を飲みこんだ津波は、日本人の誰の心も黒い波の闇に引きずり込んだ。
人里に迫りゆく津波のその刃の先端を見つめながら、信仰を持つ者ならば誰もが、ひとりでも多くの命を救ってほしいと神や仏に祈ったはずである。どうぞ、この刃が無垢の人々を見逃してくれるように、と。
過ぎ越しの夜、贖いの羊の血を塗られたイスラエル人の家々の門を神が通り過ぎ、エジプト人の長子だけが神の手の刃に倒れた。どうぞあの夜のように、人々をその刃先から逸らせてください。ここにいる人々はすべてあなたの創った者たちで、あなたを知らない者にしても、ほとんどすべては善意の人々です。そしてすべての人があなたに比べれば無力で脆弱な人々です。キリスト者としての私の祈りは、叫びに近かった、と思う。
しかし、祈り、頭を垂れていた私は突然神に向かって顔を上げ、「なぜ?」と問うた。神はなぜ平和に暮らしていた人々の命をもぎとる行為を許したのか。神が万能であるならば、なぜ地の揺れを、ゆるい曲線を描きながら進む大波を、止めることができなかったのか。すべてのことが神の計画のひとつだとしたら、一万数千人の命を奪うことも神の計画なのか。神はそれほど無慈悲なのか。神は人を愛するが故に、「ひとり子」であるイエス・キリストを地に遣わした、と私達は教えられている。その神がなぜ人々を見捨てることができたのか。
ひょっとしたら神はいないのではないか、自分達がいると信じている「神」は思い込みの産物ではないのか。
神はいないかもしれない—————————そう思うに足る現実の中に私達はいる。

その私を見透かしたように、震災後二週間ほど経った頃、代母からファイルがメールに添付して送られてきた。ファイルの名は’Cross in the sea ’ 。まるで世界が海に飲みこまれたように、満々と水を湛えゆるやかな波を起こしている海に、突き刺さる十字架とそこに架けられたキリストの絵であった。キリストは苦しい表情を浮かべ、海も空も不気味なほど暗い青で塗られている。波間に浮かぶキリストと十字架は、死者の魂とともに漂っているように見える。これを送ってきた代母の意図は、「イエスさまは、死者の魂をその手に抱き、天に昇られた」なのであろう。しかし私の眼には、キリストは死者の魂の重さに耐えかね、苦渋の表情を浮かべているようにしか見えない。生への惜別をする時間も持てず、愛する家族を思いながら失われた命を支えることは、キリストにさえ重すぎる。そして、代母が考えているように、死者がすべて天国に迎えられたとしても、生き残った家族も救われたと言えるのだろうか。
神は耐えられない試練は与えない、キリスト者の多くが口にする言葉だ。必ず耐えられるのだから、歯を食いしばって生きていけ、と言うのである。しかし、残された泥だらけのランドセルを前にした親に「耐えられる試練」だから、と誰が言えるのか。誰がそんな試練に耐えられるのか。神にさえ耐えかねる苦しみではないのか。それでも、耐えよ、と言うのであれば、その声は神ではない。
どこかの知事が「これは天罰だ」と言った。確かにそうかもしれない。すべての人間ではないが、私達は長らく間違った価値観の中に生きてきた。心地よい生活のために限られた資源を無駄に使い、快適さをより経済的に手に入れるためにウランやプルトニウムという人間の手には負えない物質を普段の生活に近付けてしまった。電力不足を補い地球温暖化を防ぐために原子力発電所は必要だ、と考えることはあっても、暖房を消して寒さに耐えようとは考えたこともなかった。この震災は日本が新しい道に進んでいくための試練であったのかもしれない。それでも、その試練が純朴な東北の人達の上に降りかかったことに、日本人は悲しみを覚え、知事の言葉に違和感を持った。この混乱の中にあって東北人が見せた品格を我々は誇りに思うが、日本人が世界から集める尊敬がその犠牲の上に成り立っているのであれば、それは我々の望むところではない。
ノアの箱舟は、神を信ずる者だけを乗せて波を乗り切った。
この震災で命を失ったのは、神が最も愛する人々であった。高台に人々を誘導するために逃げ遅れた人、津波警報を知らせるために有線放送のマイクから離れなかった若い女性、衛星電話を取りに戻った病院職員。ノアの箱舟を神が用意していたならば、彼らこそが乗るべきだった。そして箱舟を用意することもなく波を起こしたならば、神に慈悲の心は無い。
神は何をしていたのか。波間に漂う善良な人々になぜその手を差し出さなかったのか。人や町が海に沈むことを知っていたならば、なぜあなた一人がその苦しみを背負わなかったのか、私は送られてきたキリストの絵に問いかけた。
神のなさることに非合理は無い、年老いた聖職者は受洗前の私に言った。しかし、今私達の目の前にあることは非合理以外のなにものでもない。
寄り添うべき時にそこにいなく、救いを求めて伸ばされた手を掴むことなく見捨てるならば、その神は何の意味があって存在しているのか。

昨日の五月一日は、ヨハネ・パウロ二世が福者に列せられた日であった。神の慈悲、そして栄光にスポットライトが当たる式典をネットで見ながら、歴史においては東欧の民主化の一端を担い、神より啓示を受けた預言者であった彼が生きていたら、どう私達に答えたのか。         
そしてキリスト者である私は、失われた命の意味をどう説明するのか。信仰を持つ者すべてが自問しているのだと思う。

2011年10月13日木曜日

10月例会のご報告 & 12月の書評について (大洞 敦史)

本日の参加者は10名。前半に『星の王子さま』の書評を読み、後半に作文を読みました。電車事故の影響により書評をみなさんで読めなかったことは残念でしたが、8時には全員が揃い、原さんとChiaraさんの作文について活発な意見を交わしました。
例会の後はChiaraさんお手製の韓国料理をはじめ、先月同様みなさんで持ち寄ったものをいただきながら、楽しい団らんの時間をもちました。

【12月の書評について】
・特定の書籍ではなく、「原発」に関連する内容の書籍を対象とします。
・日本の話でも海外の話でもかまいません。
・11月の書評対象は、従来どおり自由です。

次回の例会は11月10日です。皆様のご健筆をお祈りします。


2011年10月6日木曜日

「内側に巣くうもの」(岩井 さやか 書評)

折しも今日は台風一過の抜けるような青空の下でこれを書いているのだが、何かをすこーんと解き放ってくれるようなそんな読後感の小説だった。読みながら、自分の思春期を、内部にとぐろを巻いていた得体の知れない怪物のような苛立ちを持て余し、いたずらにそれを解き放ってみては、傍にいた母親ばかりがそのとばっちりを受けていた日々の事を思い出した。そして吐き出しても、吐き出しても内部に抱えたどろどろとしたものは、一向に消えなかった日々の事を。

この物語の主人公も、思春期の真っただ中にいる女子高生だ。家族の前ではものすごくいい子を演じているが、本当はそれが自分がかぶっているお面にすぎない事を知っている。日々、自己嫌悪の嵐が、内部に激しく吹き荒れても、そう簡単には思いを吐き出さない。攻撃の矢を外に向かって放っても、それが結局は自分に向かって返ってくることを知っている頭のいい子なのだ。だからコーヒーを飲んでは心を落ちつけているが、カフェイン中毒からも脱却したくて、熱帯魚を飼うことを思いつく。癒しの効果を期待して渋る母親を説得した彼女は、毎夜水槽の前でほぼ寝たきりの呆けた祖母と不思議な時間を持つようになる。深夜、水槽の前でだけ祖母は覚醒するのだ。

この物語では、祖母が思春期だった時代、そしてその思春期だった祖母から見た、そのさらに祖母の姿も同時並行で描かれている。年を重ねた人間の凜として生活を切り盛りしていく姿、少々の事では動じない力強さ、近すぎる存在である母親とは少し違う心地のよい距離感、核家族では味わえないもう一つ上の世代の存在が家の中にいるという安心感とそこから学べることの多さをこの物語を読みながら私は噛みしめた。かくいう私も17歳で祖父母と同じ屋根の下に住むことになって、その存在にだいぶ救われたのである。思春期、真っただ中の女子からみれば、全てを超越しているかのように見える祖母、しかしその祖母にもやはり同じように内側に抱えた何かを持て余しながら過ごした思春期があった事をこの小説は教えてくれる。

水槽という装置はなくても、最近めっきり年を取り弱々しくなった私の祖母と彼女の昔の話をしてみよう、そう思った。年を取ったからといって内部に巣くう怪物はいなくなるわけではなくて、ただ共存の仕方を習得していくだけなのだという事が薄々分かりかけてきた今だから、話し合えることがあるかもしれない。

(梨木香歩『エンジェル エンジェル エンジェル』新潮文庫、1996年)

2011年10月3日月曜日

「オリヴィアを探せ」(原 瑠美 書評)

オバケが見える水中眼鏡を手に入れた。眼鏡をかけて水中をのぞくと、魚の幽霊がうようよしている。それを持ってティモシーとワローの兄弟は、死んだ妹を探しにいく。ティモシーは、本当は妹を見つけたくなんかない。もう二年も前に海にさらわれた彼女は今頃どんな姿になっているかわからないし、たとえば脳みその代わりにウナギが骸骨の中で光っていてもおかしくないからだ。しかし毎日オリヴィアを探しに出かける。それがなぜかやめられない。

カレン・ラッセルのデビュー作である本書は、奇怪な物語ばかりを集めた短編集だ。幽霊と駆け落ちしようとする姉を追いかけて月夜に繰り出す少女、歴史上のあらゆる悲劇を夢に見てしまう少年、そして表題作の「狼に育てられた女の子たちの家」では、狼人間の子孫である少女たちが、修道院で厳しい教育を受ける様子がグロテスクな細部にいたるまで語られる。しばしばぞっとさせられるようなお話に、なぜかとても惹きつけられる。ある花屋の店先で、友達が、「ここはきらきらしている」と言っていた。大切に育てられている植物たちが、光を発しているように見えたという。それと同じ感じがする。何かがどこかで光っているような気がして、読みはじめるとやめられない。中でも「ホーンティング・オリヴィア」は、この本の中に散りばめられた光の源に、最も接近できる作品だ。

巨大なカニの甲羅で作ったソリで遊んでいるうちに、小さなオリヴィアが浜辺から姿を消した。十二歳未満の子供をそこで一人で遊ばせてはいけないという決まりだったのに、ワローもティモシーもそれぞれ家でやりたいことがあって、まだ八歳半のオリヴィアを置いてきてしまったのだ。オリヴィアの体は見つからなかった。大人が諦めた後も妹を探し続ける兄弟は、オリヴィアが残した絵をたよりに、ついにここだと思われる場所を見つける。まっくらな洞窟に、発光するミミズが群生している、おそろしいところだ。穴の底には幽霊のオリヴィアがただよっているかもしれないと考えて、ティモシーは身震いする。それでも勇気を出して息を吸い込み、海にもぐった。

暗い海の底でティモシーが出会ったオリヴィアは、曇った水中眼鏡ごしに見える光。なんだか私たちがいつも探しているものに似ている。それはどこにもないかもしれないし、どこにでもあるかもしれない。それでも探し続けるとき、突然見える光がある。

(Karen Russell, St. Lucy’s Home for Girls Raised by Wolves, Vintage Books, 2006.)