2012年10月20日土曜日

海の美しい<浜辺>に(大塚 あすか 作文)


 朝露で濡れた下草を踏み、たどり着いた展望台から身を乗り出すと、遥か峰々の間にうっすら漂う雲の波が見えた。六月の夜明けは早く、登りきった陽の下で見る雲海は、爽やかではあるものの幻想的とは言いがたい。今朝の雲海はコンディションがいまいちで、海と言っても遠目に浅瀬を眺める程度。それでも隣に立つ両親は嬉しそうな表情を見せ、その姿に、旅程を組んだ姉もほっとしているようだった。

 父の退職祝いにと企画をはじめた家族旅行は、紆余曲折の末、一年遅れで初夏の北海道行きに落ち着いた。両親と姉とわたし、このメンバーで旅行をしたことは過去に数度もない。父は仕事柄土日や盆正月に休めず、昼夜を問わず呼び出されるどころか、勤務地外に出ることにすら届出が必要だった。わたしは十八を過ぎて旅を学び、それは誰かと分かち合うためのものではなく、ひとり気ままに動き回るためのものとして確立した。
 子どもたちが独立してはじめて、家族旅行の思い出がぽっかり欠けていることが気になりはじめたのか、両親はときおり後悔の言葉を口にした。父は今や自由の身となり、旅を妨げるものはない。

 前日は、トラブルにより予定が遅れ、ホテルへ向かう道中で日が暮れた。それどころか、信用ならないカーナビに導かれ迷い込んだのは、けもの道としか思えない、車一台通るのがせいぜいの山道。携帯電話の電波が途切れる頃には車内は沈黙と緊張に包まれ、激しい揺れの勢いで車が崖から落ちては大変だとばかり、レンタカーのハンドルを握る姉の手には血管が浮いた。
 そんなこんなで、ようやく舗装された道路に出て、黒々とした山の狭間に、バブルの遺跡と呼ぶにふさわしいツインタワーが目に入ったときも、場違いな毒々しさへの驚きより安堵が勝るほどだった。冒険譚を訴えるわたしに、ポーターの若者は、「僕は地元の人間ですけど、あの道は一度しか通ったことありません。熊も出ますから」と言った。
 それもこれも、このリゾートホテルの売りである雲海見物のためだった。わたしたちにとって雲海は特別なものだ。誰もあえてそれを口にはしないけれど。

 出産予定日を一ヶ月過ぎていた上に逆子だった姉は、分娩時のトラブルにより視神経に傷を負った。遠視用の分厚い眼鏡は、子どもたちのからかいの対象としては申し分のないもので、長い間、本人と両親を苦しめた。
 姉は小学校卒業までに二度の手術を受けた。地元に適当な病院がなかったのか、県境を越え熊本大学の付属病院にかかっており、完治するまで長期にわたって、三ヶ月に一度の定期検査のため熊本へ通い続けることを余儀なくされた。
 その日だけは父も仕事を休み、県外への外出許可を取った。大学病院の待ち時間は恐ろしく長く、朝一番に受付してもらうためには真夜中に家を出る必要があった。今のようにコンビニエンスストアがあったわけではないので、母は通院の前夜、ほとんど眠らず弁当を作った。
 真っ暗なうちにたたき起こされ、寝間着のまま毛布に包まれた姉とわたしは後部座席に詰め込まれる。窓越しの星空に見とれるものの、車が動き出して間もなくまた意識を失う。ひとしきり眠った後で目を覚ますのが、決まって阿蘇に差しかかる頃だった。カルデラ地形のせいもあるのか、阿蘇の雲海はそれは見事だった。朝焼けを飲み茜とも紫ともつかない複雑な色合いをした波が足下まで打ち寄せてくる、まさしく海だった。
 でも、もしかしたら阿蘇のことは、記憶の中でいくらか美化しているかもしれない。幼い姉やわたしにとって、若い両親にとって、それは唯一といっていい家族で遠出する機会だった。宿泊も観光も伴わないけれど、特別な日だった。

 あの涙ぐましい通院の日々、両親はいったい幾つだっただろう。そう、多分、二十代半ばから三十代にかけて。
 姉とわたしは、すでに当時の両親の年齢を超えた。叱られてばかりだった子どもが、今では逆に「現代の常識」を親に説く。親子の立ち位置は少しずつ確実に変わりつつあると同時に、それに対する違和感もある。独身である姉とわたしは、「じいじ、ばあば」という言葉に変化を委ねることも叶わない。
 還暦前後の両親、三十代半ばの姉とわたし。家族での旅行はどこかぎこちない。両親は、過去に実現しなかった家族旅行を取り戻そうとしている。姉とわたしは、新しい家庭を作るという、おそらく両親が密かに抱いているであろう期待に添えずにいることへの後ろめたさを抱え、その罪滅ぼしの意図を持つ。いわば、欠けているものを埋めるための旅。

「阿蘇の方がすごいよね」と、占冠の山々を眺めながら口に出してみた。少なくとも、今目の前にある光景と比較可能な記憶を共有している。それが、様々な思いを打ち消し、家族をつなぐための糸であるような気がした。
「そうだよね」
 同意の言葉とともに、父が、母が、姉が、その細い糸を掴むかのように思い出を語りはじめる。