2012年4月19日木曜日

管理人交代(辻井潤一)

前任の大洞さんよりブログ管理人を引き継ぎました。
今後は私が読み書きクラブに関する情報を当ブログにアップしていきます。
宜しくお願い致します。

2012年3月14日水曜日

子供をハイにしたい夜の一冊(Chiara 書評)

絵本はおやすみ前の儀式にかかせない道具、というのは、我が家ばかりではあるまい。胎児に算数や英語を教える等、進化しすぎた子育て法に惑わされながらも、私は手抜きの子育てに終始した、少なくとも幼児期は。唯一頑張ったのは、物語を理解し始めた娘の為に友人や親族から譲り受けて本棚一つ分の絵本をそろえたことだ。娘はその日に読みたい本を選び、おふとんの上にばさりと置く。一度読んだだけで寝入ってしまうこともあれば、何度も何冊も読まされる夜もある。おやすみ前の儀式どころか、興奮して手がつけられなくなる本もある。

本書はその類である。

男の子が動物園に手紙を書く、「ペットがほしいので、なにかおくってください」。動物園は子供の願いをまじめに受け取り、適当に応える。

期待がほどよくふくらんだ頃、動物園から男の子に「おもいのでちゅうい」と札がついた大きな箱が届く。中には・・・ゾウがいた。男の子は「でか!」と言って送り返す。次に送られてきたのは長細い箱。今度はキリン。「なが!」と言ってまた送り返す。「こわ!」なライオンや「うるさ~い!」ラクダや「うわっ!」なヘビ、「やめて!」のサルがそれに続く。

送られてきた動物はみな箱や檻に入っており、ページをめくっただけでは動物は見えない。貼り付けられている紙を開いて檻をあけないと現れない仕組みになっている。そこにはペットとしては「ありえな~い」ものがいて、子供は大興奮する。非常識な動物園は次から次へと頓珍漢な動物を送り続け、子供が「たのんだあいてをまちがえた」と思い始める頃、動物園スタッフ全員熟考の末にようやく「カンペキ!」なペットを送ってよこす。

娘がほっとして寝ついてくれれば、その日はたっぷり外遊びをした日。いつまでもフリップフラップ、開けたり閉めたりしなくては気が済まない日は、動物の鳴きまねまでさせられる。この本にはまったく手こずらされた。

あれから十数年、収拾がついていたことのない娘の本棚を整理するたびに、見つければにやりと笑ってしまう一冊でもある。娘の成長につれて、ほとんどの絵本はいろいろなところでいろいろな子供にもらわれていった。でも、この絵本だけは娘の本棚に残っている。知り合いに子供が生まれると私が必ず贈る絵本でもある。

「カンペキ!」なペットにうなずくか、あばれるか、子育ては今夜も賭けになる。

(Rod Campbell, Dear Zoo, Puffin Books, 1982)

2012年3月7日水曜日

ディアハンター(CHIARA 作文)

なだらかな丘陵をおおう草原は、西斜面から差し込む陽光を受け、砂金を撒いたようだった。立ち枯れている草はみな腰丈ほどの高さで、視界はどこまでもさえぎられることはない。

右頬を叩く風が丘を這い上がる。風の前にあるものはなびき、倒され、動く。茎の太い草は首をかしげ、ちぎられた葉は風に乗って丘を駆け上る。すべてのものが一定方向に動いている。まるで大きな玉が転がっているように草原は頭を下げ、風は波になって丘を上る。波の中で、私だけが動かない。風は私の右半身に当たり二手に分かれ、通り過ぎたところで重なる。

風は生きている。意思を持っている。運びたいものだけを運び、邪悪なものは置き去りにする。
ギリシャ語では、風はプネウマと呼ぶ。プネウマは霊という意味でもある。古代、風は霊だと思われていたのだろうか。


アイダホ州北西部、見渡す限りにおいて町は無い。牛を追うカウボーイが寝泊まりする小さな家が丘の中腹に一軒あるだけだ。三つ山を越えればワシントン州、スネークリバーの向こうはオレゴン州だった。

私は、家に向かい体を引きずるように歩いていた。

一緒にいた父は、簡単な四輪のエンジン付き台車に仕留めた鹿を乗せて走り去った。父と言っても実の父ではない。いわゆるホストファーザーだ。ホームシックで泣きじゃくる一二歳の娘の肩を抱きとめてから、彼は私の父になった。二〇年後のそのときもまだ、彼は私の父親のままでいた。
家までの道のりは徒歩ならば遠くはないが、道を選ぶ台車にはでこぼこが多すぎた。遠回りの道をたどる台車に乗って、父は今夜の仮宿であるカウボーイのための小さな家に向かった。私は徒歩でそこを目指した。
風が吹く度に血の匂いが立ち上った。仕留めてすぐに首を切ったからだ。

その鹿は低木の茂みに隠れていた。寝ていたのかもしれない。小さめの雌鹿だった。体の血を抜きながら父は「やわらかくてうまそうだ」と言った。撃たれた時も首を切られた時も雌鹿は「ムギュ」とだけ鳴いた。この鹿はその日仕留めた二頭目であった。


朝一番で私たちは雄鹿を撃った。角が五つに枝分かれしたその鹿は王者のように崖の上に立っていた。崖下の森で鹿を探していた私たちは、見上げた空を背に鹿が立っているのを見つけて息を止めた。私を除いた全員がゆっくりとライフルを肩にあて、静かにセイフティをはずし照準を合わせた。「おれがやる」という父の言葉に皆は引き金から指を離した。父の撃った一発目はわずかにかすっただけのようだった。一瞬左足が曲がり、バランスを崩したが鹿は倒れなかった。逃げる、と思った瞬間に母の撃った二発目が止めを刺した。鹿は右前方に倒れ、切り立った崖の飛び出た岩に体を傷つけられながら森に落ちた。ドスンという鈍い音を頼りに私たちは鹿を探した。

鹿は目を見開いたまま、やわらかな森の下草の上に横たわっていた。びくりとも動かない。動いているのは喉元から胸あたりだけだった。父はポケットからナイフを取り出すと、大きく動いている喉元を切り裂いた。血の流れは草にはじかれ、土の中へとしみていく。

ナイフはそのまま腹の上へ引かれ、みじん切りにされたような未消化の草と胃粘液の混合物が草の上にひろがり、あたたかな、青臭いにおいをもわりと漂わせた。

えぐりだされた内臓は草の上に放置された。家までは遠く、内臓をはらんだ肢体は重たい上に、肉が悪くなるからだった。足や角を持ち、鹿を引きずりながら森を出る道をたどった。森を抜けたところに鹿を置き、つないでおいた馬に乗り、家に戻った。鹿はあとで父の弟がピックアップで拾いに来るのだ。


昼食の後、私と父はもう一度銃を持って草原に出た。5ポイントの鹿は剥製にして壁に飾るには大きな勲章になるが、肉は固くてまずい。うまい鹿をもう一頭仕留める必要があったのだ。

馬の用意をしていると、父は歩いて行くと言った。今度は私もライフルを持たせてもらった。風が運ぶ藁の匂いが鼻に広がり、私は食後の散歩のようにゆったりとした時間を楽しんでいた。私のライフルの銃口は空を向いてぶらぶらしていた。

横を歩いていた父がそっと片手を私の前に伸ばし、止った。5メートル程向こうの茂みでカサっと音がし、父は静かに引き金を引いた。


家に戻りシャワーを浴びている間に、雌鹿は腹を出され、皮を剥がれ軒下に吊られていた。肉が熟成するまでこのまましばらく置くのだそうだ。内臓はコの字形の家の中庭の中央に置かれていた。血の匂いを嗅ぎつけたコヨーテに肉をやられないために、代わりに置いておくのだ。

真夜中、谷間のむこうからコヨーテの遠ぼえを聞いた。やがて彼らは庭においたはらわたにありつくだろう。私は、カーテンの隙間からでもコヨーテに見られぬよう、レールの端まで布を引いた。


二週間後、東海岸に住む私に、冷凍パックされた背肉が送られてきた。肉のパックをナイフで切り裂いたときにあがってきた草の臭いに、あわてて発泡スチロールのふたをしめた。

半年後、5ポイントの角は見事な剥製となって送られてきた。台に打ちつけられたメダルには私の名と日付が刻印されていた。

2012年3月1日木曜日

関西三原則(原 瑠美 作文)

ガラス張りのエレベーターで、人々が騒ぎだす。夜の渋谷の街の向こうに、ライトアップされたスカイツリーがぼんやりと見える。最後に入っていった私がその輪の中に加わると、さっきパーティで知り合ったばかりの女の子が嬉しそうにこちらを振り返る。「関西の方ですか」と聞かれて「はい」と言うと、目を輝かせて「やっぱり」と笑う。

スカイツリーを指差されて、「ほんまや」と大阪弁が口をついて出た。もちろん隠しているわけではないが、ことさら出身地を主張したいわけでもない。しかし、日頃そんなどっちつかずなスタンスでいると、このような状況になった場合にとっさに反応できない。相手は笑顔で何かおもしろい話を期待している。私は幼い頃から引っ越しが多すぎて、そんなにどっぷり関西人であるとは言いがたい。いまは大阪の北の端に両親の家があるというだけで関西とつながっているような私が、下手におもしろおかしく関西を語ろうものなら、次に道頓堀を通るときに袋だたきにあいかねない。でも、ちょっと試しにやってみようかな。きれいなおねえさんをがっかりさせるわけにはいかないし。

関西ではどんなに物静かな人でも、一日に最低五回はツッコミを入れる。相手が何かふざけたことを言ったときに、「なんでやねん」とやるのが基本形だ。ツッコミがないと恋人が急に冷たくなったときのようにションボリしてしまい、逆に想定以上に厳しいツッコミをされるとちょっと傷ついてしまうのが関西人である。ツッコみ、ツッコまれることを要求する社会では、どんなツッコミにも反応する柔軟さ、繊細さと、相手への細やかな気配りが必要となる。外部の人がそんなツッコミの機微に通じるようになるには長い時間がかかるが、以下の三つのポイントを押さえておけば、差し当たっては大丈夫なのではないだろうか。

まずは「オッサン」という名詞の使い方。これは中年男性を意味する元々の用法の他に、十五歳以上の男女に親しみを表す言葉として用いられることも多い。私は中学、高校の頃から実際によく使っていた。特に若者や女性に言う場合は、「おやじじゃないのにおやじくさい」というニュアンスが加わるので、言われた本人は、「オッサン言うな」や、「オッサンちゃうやろ」などとさらにツッコミを返すことができて、楽しみふくらむ言葉なのである。母の父は中年に達したとき、「オッサン」と呼ばれるのがいやでこの言葉を撲滅しようと、手始めに娘が口にするのを一切禁じたらしい。でもそういうときは、人に言われる前に自分から言ってしまうのがよい。「わしももうオッサンやからなあ」なんて言うと、誰かが「え、まだまだいけますよ!」と根拠のない励ましをシャウトしてくれるか、「わしの方がオッサンやで!」と自分の持ちネタに持っていこうとしてくれるはずだ。

次に、「おいしい」という状況を表す単語について。自分の発言や行動によって笑いが取れたときや、思いがけず注目されることになった場合に使われる言葉で、「あんたそれちょっとおいしいんちゃう」なんて言われた日には、もう、うはうはだ。これは窮地に立たされた人に、なんとか希望を持たせたいときにも使える。例えば、人前で何か恥ずかしいことをしてしまって落ち込んでいる友達に、「ええやん、逆においしいやん」と言って励ます。ただ、状況を瞬時に読んで絶妙のタイミングで言わなければならないので、これは上級テクニックと言える。しかし相手が「せやな」と言ってくれ、一緒に笑い合えたときの満足感は、何ものにも代えがたい。ふんだりけったりなことがあっても、それを人に話しておもしろがってもらえれば、関西人はそれだけで満足なのである。

「おいしい」状況を作りたいという欲求が無意識下にまで定着してくると、ただおいしくなるために、「言いたいだけ」で何かを言ってしまう現象が起こってくる。そんなあざとくも愛すべき性質にツッコミを入れるのが、三つ目のポイントだ。ちょっと経験を積むと、誰かが「言いたいだけ」で発言している場合が自然とわかるようになる。一度笑いを取ることができた表現を、繰り返し使っている人はあやしい。最近、同僚の女の子が、「私は玉の輿に乗るんで」と冗談で言ったときに、上司が「石油王つかまえるの?」と聞いてまわりがどっと笑ったことがあり、それ以来、その上司は何かにつけて「石油王」という言葉を使いまくっている。これはまさに言いたいだけなので、「言いたいだけですよね」と言ってあげるのがよいのだ。

エレベーターを降りると、渋谷の雑踏にまぎれて一緒にいた友達の大半とはぐれてしまい、おねえさんにも別れの挨拶をすることができなかった。今度会ったときは期待に応えて楽しませてあげることができるだろうか。

それにしても、注目されてちょっとおいしい状況になったからって、言いたいだけでこんな作文まで書いてしまった。私ももう、オッサンやな。

2012年2月21日火曜日

母と死と嵐(原 瑠美 書評)

アメリカ南部の強烈な太陽が照りつけるミシシッピの森の中で、十五歳のエッシュは家族と暮らしている。黒人一家の生活は極度に貧しく、母はいない。年の離れた弟を生むと同時に死んでしまったのだ。二番目の兄が飼っている犬が出産し、何匹かの子犬が生まれるとともに死んでいくのを見て、エッシュは母を思わずにはいられない。海からは歴史的なハリケーンが迫ってきている。そんなとき、自分も妊娠していることに気づく。

水と熱が出会って嵐を生むように、生と死が母のイメージをめぐってせめぎあうのがこの物語の推進力だ。死は母と結びついて子どもたちの生命力を目覚めさせるものとなり、母はまた死の力を得て善悪を超えた絶対的な存在となる。そんな母というものを体現するのが、ピットブルのチャイナ。死産を経験しても動じることなく、生き残った子犬まで気まぐれに一匹殺してしまう。森の奥で行われるドッグファイトでは、出産直後というのに子犬たちの父親まで倒す。まっ白な毛皮は血で赤く染まり、口は笑っているように見える。死の女神。しかし子犬はチャイナの母乳で生かされている。

母とは何なのだろうか。エッシュはお腹の中で自己主張を始めた胎児の存在を感じながらも、自分が母になるということを受け入れられないでいる。赤ん坊の父親は、彼女のことをもう見もしない。白人なのだ。エッシュと三人の兄弟たちは、クーラーのない家と灼熱の森で毎日滝のように汗を流し、ときに血も流し、食べるものが足りないときはリスを捕まえて丸焼きにする。近所に住む白人たちとはまったく違う生活。生と死が、ここでは本当に隣り合わせだ。

ハリケーン・カトリーナが黒い雲の使者を走らせているそのとき、エッシュもまた全速力で走っている。盗みに入った家の犬から逃げるとき、赤ん坊の父親を追いかけるとき、獣のような速さで彼女は走る。そして嵐が森を直撃する。カトリーナは破壊的な母の包容力で木をなぎ倒し、犬を飲み込み、家を泥で覆って汚い水たまりを残していった。ハリケーン発生からその襲撃直後までの張りつめた十二日間を、読者はエッシュとともに駆け抜けることになる。絶望的な状況に置かれながらも生きる力を輝かせる少女の姿が、美しく、鮮烈だ。

作者のジェスミン・ワードはミシシッピ州出身、一九七七年生まれ。二作目となる本書で、二〇一一年、全米図書賞の小説部門を受賞した。

(Jesmyn Ward, Salvage the Bones, Bloomsbury, 2011)

2012年2月18日土曜日

2月18日最終回のご報告(大洞 敦史)

第15回目の例会となる本日は、読み書きクラブの最終回でした。
参加者は10名。原さん、亀﨑さん、Chiaraさん、わたしの作文と、大内さん、近藤さん、原さん、Chiaraさんの書評をとりあげました。

例会のあとはChiaraさんお手製の、目をみはるほど豪勢な日本料理を、皆さんで感嘆しつついただきました。
さらに会員の方々から管先生に贈りものが贈呈され、なんとわたしまで贈りものをいただいてしまいました。Yomikaki Clubと記名された万年筆、そして寄せ書きの石です。感極まる思いです。

わたくしからもこの場を借りて、皆様にお礼を申し上げたいと思います。
まずは管啓次郎先生、そして読み書きクラブの皆様、またこのブログを愛読してきてくださった皆様、一年半の間どうもありがとうございました。

従来の活動はこれで終わりとなり、私も三月から台湾へ行きます。が、今後も辻井さんを主力として、かたちを変えて何かをしていくことになっています。ひきつづき、共に歩んでまいりましょう。

2012年2月5日日曜日

飲食店の料理をつくっているのは誰か(宮路 雅行 作文)

気になることがある。気にする人は少ないとは思う。しかし私には気になって仕方がない。もし、気にしている人間と出会えたなら、時間をかけて「そのこと」について話してみたい。

繁華街を歩いていた。午後からの予定は特にない。昼食について真剣に考えていた。大きな街だから店には困らなそうだ。体調も悪くない。全て使うことはできないが、昼食代には十分な現金を持っている。時刻は十二時半、じっくりと時間をかけて店を選び客がひけた頃に入店する予定だ。私が食べたいものを食べるための条件はかなり良いと言える。あとは、食べたいと思っている抽象的な味や食感などのイメージをもとに的確な料理を決め、その料理を提供してくれる店を探しあてるだけだ。あるいは、店を探し歩きまわることで直感的に食べたいと思える料理との出会いを獲得するかだ。前者は食欲にたいして忠実に料理を選べる事になる。後者は発見した店によって欲求が変化させられることになる。大事なのは選んだ料理が食欲を満たせるかどうかだ。そもそも、その日の気温や最近食べたものなど様々な要因によって食欲は変化させられている。前者も後者もあまり変わらないのではないだろうか。そのようなことを考えながら、私は店を探し歩きまわった。

運よく私の食欲を満たせそうな店がみつかった。注文をすませ、料理がはこばれて来るまでの時間を持て余していた。その店は客席から調理場をみることができた。このような場合、調理過程や調理人の人柄や動作などをみることも料理を楽しむ重要な要素だと思う。料理をつくることが好きで真剣に取り組んでいる調理人もいれば、ある程度好きではあるがルーチンワークになってしまっている調理人もいるだろう。表情や声から読みとれるその日のテンション。動作や手つきからは熟練度がみえて来る。この調理人はどれくらい料理をつくりたいと思っているのか。また、その調理人がつくりたい料理はこの店でつくることができるのであろうか。調理人の欲求は店の方針や手に入る材料などに左右されているはずだ。どのくらい欲求を正確に満たしているのかが気になりだす。私に、私の食欲に対して繊細に当てはまる料理をつくれる技術があればいいのに。実際は抽象的な食べたいという欲求から具体的な料理を発想するにも一苦労だ。私は遠慮なく調理場をながめながら、欲求を満たすという事の難しさについて考えていた。

食前にトイレに行っておくことにした。食事の途中でトイレに行きたくなるのは避けたかったし、手もしっかり洗って気分よく食事にのぞみたかったからだ。いつも思うのだが便器というのは妙な形をしている。長い年月をかけて発達してきた形なのだろう、どの便器も似たような形をしている。もちろん注意してみれば違いは沢山ある。汚れにくさを考えてつくられたものや、節水を第一に設計されているものもある。これらは利用者の欲求から生まれたのだろうか。それともデザインする人間のつくりたいという欲求からだろうか。一般的な形というものを獲得してしまった便器を大きく改良するのは難しいだろう。さらに言えば、画期的な便器をデザインしたとして、それが一般的な形として認知される事はもの凄く難しいだろう。そもそも、完成度の高い便器をつくりたいと思う欲求と自分のつくった便器を世間に浸透させたいという欲求は別々の欲求と考えたほうがよいかもしれない。二つの欲求の間で葛藤するデザイナーは少なくないだろう。ぼんやりとだが、欲求とつくることの関係性のイメージが頭の中に起ちあがってくる。しっかり考えがまとまらないまま、私は席に戻った。

注文した料理がはこばれて来た。私はその料理を食べはじめた。しかし、食べる速度よりも思考の速度のが速いような状態だった。誰かの欲求によってものがつくられるのならば、この料理は私の食欲によってつくられているという事になる。直接手を動かして料理をつくっているのは調理人に間違いない。しかし、毎日同じものを作り続けている調理人の欲求より、私の食欲のほうが十数分前までは大きかったのではないだろうか。欲求の大きいほうがその料理をつくっているという考えは暴力的すぎる。そもそも欲求は大きい小さい以外にも色々な属性があると思う。この料理を最初につくった人の欲求はどのような欲求だったのだろうか。もしかすると、この料理は時間をかけて多くの人の欲求によって成熟してきたのかもしれない。

考え事をしているうちに、私は料理を食べ終えてしまった。食欲が満たされたという実感はない。消え失せてしまった感じだ。しかし、私は気になって仕方がないのだ。私が食した料理をつくった欲求について。