2011年7月29日金曜日

正解のない世界をゆたかに楽しく生きる技法(近藤早利書評)

本書は、高校の英語教師を十三年間務めてから家庭科教師に転身した著者による「日々の暮らしを自分で整えるためのガイド」だ。 

一章は「自立」について。朝起きてベッドや布団の始末を自分でしていますか。部屋の掃除は。服は自分で選んで買って、毎朝、自分で組み合わせてますか。ここまでが、個人の自立で、その後、食事作り、後かたつけ、ゴミ出し、トイレやお風呂の掃除、買い物を家族のためにしているか、が問われている。

二章は「家族の中で生きる」。この章のすばらしいところは、「そもそも家族とは何か」に関する生徒たちとのやりとりが紹介されていることだ。一緒に暮らすのが家族なのか。ならば単身赴任の父は家族ではないのか。血のつながりが家族なのか。それでは夫婦は家族でないことになってしまう。制度が家族を決めるのか。長年一緒に暮らしながら結婚していない男女やゲイのカップルはどうなのか。養護施設で十五年間一緒に育った孤児仲間は。おじいさんとおばあさんがこよなく愛する猫は。猫ではなくサボテンだったら。こうして、私たちは「自分にとっての家族とは何か」を原点から考えさせられる。

三章は「社会の中で生きる」。労働、お金、消費、などについて語られた後、どんな百歳になりたいか、が問われ、最終章の「ゆたかに生きる」につながる。他者に依存せず、支配せず、一人でいても、仲間がいても楽しい。そんな風に生きられたらいいね、という著者の考えが、いくつかの実例を交えて語られる。

『正しいパンツのたたみ方』というタイトルは、著者の友人が、洗濯物を取り込んでたたむ度に、妻から「パンツのたたみ方が正しくない」と叱られてしまうというエピソードから取られている。受験科目とちがって、家庭科には(音楽も美術も体育もそうだけれど)、唯一の正解はない。人のパンツのたたみ方を責めすぎないようにしよう。

ところで、僕は、炊事・洗濯・掃除は並の主婦よりはるかにできる。とうそぶいて、人の家に招かれてグラスが曇っていないかチェックするようないやな男だ。そして、この国のエネルギー政策を決めてきた人たちは、炊事・掃除・洗濯のどれもまともにできない人だと想像している。自分で出すゴミを、自前で始末ができないようなことには、最初から手を出してはいけないのは、個人でも企業でも国家でも同じだろう。公務員試験にも国政選挙にも、家庭科の実地試験をくわえてもらいたいものだ。

(南野忠晴『正しいパンツのたたみ方』岩波ジュニア新書、2011年)