2010年11月22日月曜日

自己紹介(辻井潤一)

1985年、神奈川県生まれ。今春、多摩美術大学大学院を修了し、某メーカー系に入社。専門は現代美術研究。趣味はプロ野球観戦。学生時代はバレーボール部でした。ハタチの頃、コンビニで雇われ店長をしてたことがあります。

辻井潤一の36冊

1985年、神奈川県生まれ。今春、多摩美術大学大学院を修了し、某メーカー系に入社。専門は現代美術研究。趣味はプロ野球観戦。学生時代はバレーボール部でした。ハタチの頃、コンビニで雇われ店長をしてたことがあります。

(1)自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
イマヌエル・カント『判断力批判』上巻(岩波文庫、1964年)
ミシェル・フーコー『言葉と物――人文科学の考古学』(渡辺一民/佐々木明訳、新潮社、1976年)
佐藤信夫『レトリック感覚――ことばは新しい視点をひらく』(講談社、1978年)
壇一雄『火宅の人』下巻(新潮文庫、1981年)
ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳、みすず書房、1979年)
東野芳明編『つくり手たちとの時間――現代芸術の冒険』(岩波書店、1984年)
ミッシェル・セール『五感――混合体の哲学』(米山親能訳、法政大学出版局、1991年)
今村仁司『近代性の構造――「企て」から「試み」へ』(講談社選書メチエ、1994年)
網野善彦『日本とは何か――日本の歴史<00>』(講談社、2000年)
宮本輝『ひとたびはポプラに臥す』第6巻(講談社文庫、2002年)
中島義道『後悔と自責の哲学』(河出書房新社、2006年)
多田富雄『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)

(2)自分が専門と呼びたい分野(日本の「現代美術」が、「現代」美術でなくなるとき)の12冊
李禹煥『出会いを求めて――現代美術の始原』(田畑書店、1971年)
千葉成夫『現代美術逸脱史――1945~1985』(晶文社、1986年)
北澤憲昭『眼の神殿――「美術」受容史ノート』(美術出版社、1989年)
北澤憲昭『境界の美術史――「美術」形成史ノート』(ブリュッケ、2000年)
赤瀬川原平『反芸術アンパン』(ちくま文庫、1994年)
浅田彰/岡崎乾二郎/松浦寿夫共同編集『批評空間 (第2期臨時増刊号)モダニズムのハード・コア――現代美術批評の地平』(太田出版、1995年)
小島信夫『X氏との対話』(立風書房、1997年)
椹木野衣『日本・現代・美術』 (新潮社、1998年)
クレメント・グリーンバーグ『グリーンバーグ批評選集』(藤枝晃雄訳、勁草書房、2005年)
ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜――視覚空間の変容とモダニティ』(遠藤知巳訳、以文社、2005年)
光田由里『写真、「芸術」との界面に――写真史一九一〇年代-七〇年代』(青弓社、2006年)
美術評論家連盟編『美術批評と戦後美術』(ブリュッケ、2007年)

(3)『現代性』を主題とする12冊
山藤章二編『山藤章二の似顔絵塾』(朝日新聞社、1991年)
西垣功『デジタル・ナルシス――情報科学パイオニアたちの欲望』(岩波書店、1991年)
モーリス・ブランショ『明かしえぬ共同体』(西谷修訳、ちくま学芸文庫、1997年)
『美術手帖 2000年9月号』特集:風景新次元――スーパーフラット・ランドスケープ(美術出版社、2000年)
ジョン・シーリー・ブラウン/ポール・ドゥグッド『なぜITは社会を変えないのか』(宮本喜一訳、日本経済新聞社、2002年)
スーザン・ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』(北条文緒訳、みすず書房、2003年)
浅羽通明『教養としてのロースクール小論文』(早稲田経営出版、2005年)
トリシャ・ブラウン『思考というモーション』(木下哲夫/中井悠訳、ときの忘れもの、2006年)
リービ英雄『仮の水』(講談社、2008年)
大澤真幸『虚構の時代の果て』(ちくま学芸文庫、2009年)
小嵐九八郎『柄谷行人 政治を語る――シリーズ/六〇年代・七〇年代を検証する〈1〉』(図書新聞、2009年)
古市憲寿『希望難民ご一行様――ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書、2010年)

2010年11月19日金曜日

自己紹介(近藤早利)

1959年生まれ。家族は妻と一男一女にチワワ一匹。墨東に住まう。
岐阜県の恵那・明智という山間の町に生まれ育ち、名古屋の東海高校へ。
管啓次郎くんは3年D組のクラスメイト。
一橋大学法学部に進み2年の留年、3年ほどの浪人を経て司法試験合格。
現在は弁護士。ビジネス系、倒産系、個人・家族系、犯罪弁護系なんでもやってきたが、いまは社長と直接話せる規模の企業の顧問業務が多い。
好きなことは、音楽を聴き、演奏すること、旅に出て写真を撮ること、すがれた店でおいしいお酒を呑むこと。そしてもちろん読書。
楽しい仲間を少しづつふやして、気持ちよく老いていきたいです。
ブログ 撫明亭日乗

近藤早利の36冊


1959年生まれ。家族は妻と一男一女にチワワ一匹。墨東に住まう。
岐阜県の恵那・明智という山間の町に生まれ育ち、名古屋の東海高校へ。
管啓次郎くんは3年D組のクラスメイト。
一橋大学法学部に進み2年の留年、3年ほどの浪人を経て司法試験合格。
現在は弁護士。ビジネス系、倒産系、個人・家族系、犯罪弁護系なんでもやってきたが、いまは社長と直接話せる規模の企業の顧問業務が多い。
好きなことは、音楽を聴き、演奏すること、旅に出て写真を撮ること、すがれた店でおいしいお酒を呑むこと。そしてもちろん読書。
楽しい仲間を少しづつふやして、気持ちよく老いていきたいです。
ブログ 撫明亭日乗



(1)考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊
夏目漱石『道草』(岩波書店、1942年)
伊丹十三『日本世間噺大系』(文藝春秋、1976年)
吉行淳之介 『私の文学放浪』(講談社、1976年)
山口瞳『酒呑みの自己弁護』(新潮社、1973年)
立花隆『宇宙からの帰還』(中央公論 1985年)
山田風太郎『人間臨終図鑑』(徳間書店、1987年)
安土敏『ビジネス人生・幸福への処方箋』(講談社、1992年)
レイモンド・カーヴァー『ファイアズ(炎)』(村上春樹訳、中央公論社、1992年)
河合隼雄『中年クライシス』(朝日新聞、1993年)
宮脇壇『父たちよ家へ帰れ』(新潮社、1996年)
川本三郎『荷風と東京――「断腸亭日乗」私註』(都市出版、1996年)
玉村豊男『今日よりよい明日はない』(集英社、2009年)

(2) 専門と呼びたい分野(法社会学、法哲学、法と経済学)の12冊
川島武宜『日本人の法意識』(岩波書店、1967年)
P.G.ヴィノグラドフ『法における常識』(末延三次/伊藤正己訳、岩波書店、1972年)
加藤尚武 『ヘーゲルの「法」哲学』(青土社、1996年)
宮澤節生『法過程のリアリティ――法社会学フィールドノート(法学の泉)』(信山社、1999年)
萩原金美『法の支配と司法制度改革』(商事法務、2002年)
平野仁彦・亀本洋・服部高宏『法哲学』(有斐閣、2002年)
村山眞維・濱野亮『法社会学』(有斐閣、2003年)
ダニエル・H・フット『裁判と社会――司法の「常識」再考』(溜箭将之訳、NTT出版、2006年)
宇野重規『トクヴィル――平等と不平等の理論家』(講談社、2007年)
小坂井敏晶 『責任という虚構』(東京大学出版会、2008年)
太田勝造/濱野亮/村山眞維/ダニエル・H. フット『法社会学の新世代』(有斐閣、2009年)
スティーブン・シャペル『法と経済学』(田中亘/飯田高訳、日本経済新聞出版社、2010年)

(3) 「現代性」を主題とする12冊
野口三千三『原書生命体としての人間』(三笠書房、1972年)
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論新社、1977年)
宮本常一『家郷の訓』(岩波書店、1984年)
田中優子『江戸はネットワーク』(平凡社、1993年)
片岡義男 『日本語の外へ』(筑摩書房、1997年)
宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波書店、2000年)
森嶋通夫『イギリスと日本 その教育と経済』(岩波書店、2003年)
エマニュエル・トッド『帝国以後 アメリカシステムの崩壊』(石崎晴己訳、藤原書店、2003年)
内田樹『死と身体』(医学書院、2004年)
ジャレド・ダイヤモンド『文明の崩壊』(楡井浩一訳、草思社、2005年)
小松秀樹『医療の限界』(新潮社、2007年)
水村美苗『日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で』(筑摩書房、2008年)

2010年11月17日水曜日

線路の上の教室 (大洞敦史)

誰かに対して愛情を抱いたら、相手のことをより深く知りたいと願うのが人の常だ。異国を愛した人ならば、その国をより深く知るために彼の地の言葉を身につけようとするだろう。愛の対象が異国の言葉そのものであったなら、これほど幸運なことはない。生身の人間や異国の土地と自己との間に横たわっている距離が、言葉においては不在だから。本書は中国語の入門書であると共に、中国語を愛してやまない著者がその心情を露わにした告白の書である。

著者は長年、中国語圏の新聞の人気コラムニストとして活躍してきた人で、二十冊近い中国語の著書がある。十九の春に藤堂明保から中国語の基礎を学び、翌年ひと月ほど北京に滞在する。ちょうど対日感情が悪化していた時期のことで、物陰からネギが飛んできたりもして第一印象はあまり明るいものではなかったようだ。ところが最後に修学旅行で訪れた江南地方にて北京とは全く異なる風景や文化習俗を目のあたりにし、中国の広さ多様さに衝撃を受ける。大学卒業後は新聞記者、のち文筆家として、大陸のほか香港や台湾、中国系移民の多いトロントなどを股にかけ筆を揮ってきた。

本書には中国語の枠組みをなす発想の仕方についての解説をはじめ、諺や慣用句、文法や発音の手ほどき、学習の秘訣、中国や台湾の人々の生活模様や料理、音楽、出版事情に関する話などが、無数の珍奇な体験談や苦労話を散りばめつつ語り下ろされている。著者が勧める学習法の中で面白いのは、中国の長距離列車で乗り合わせた人に片っ端から話しかけるというものだ。線路の上こそが著者自身にとっても最良の教室であった。ある旧正月の夜、列車の片隅にひとり坐っていた著者を乗務員たちが新年を祝う席に招き、御馳走をふるまってくれた。又ある時には車中で知り合った人から結婚式に出るよう言われ、来賓として挨拶まですることになった。

この本を読んだことをきっかけに中国語への愛情が筆者の内に芽生えたのは半年ほど前の事、今では日々中国や台湾の友人知人と片言で話し、メールを交わし、意思が通じ合うことの喜びと尊さを噛みしめている。過去三年ほど学んできたもののネイティヴと差し向かいで話す経験がほとんど得られなかったフランス語と較べ、愛着の強さにおいても習得の速度においても桁が違う。言語への愛は、人への愛に連結することで輝きを増していく。

(新井一二三『中国語はおもしろい』講談社現代新書、2004年)

2010年11月15日月曜日

自己紹介(大塚あすか)

九州出身、都内在住、都内勤務。
心ぜんぶ持っていかれるような小説が好き。部屋の隅で膝を抱えて聴くような歌が好き。きれいでちょっとだけグロテスクな映画が好き。散歩が好き、ワンピースが好き、道に迷うの大好き。
いつか「けむりちゃん」という名の猫と暮らすことを夢見ています。

大塚あすかの36冊


九州出身、都内在住、都内勤務。
心ぜんぶ持っていかれるような小説が好き。部屋の隅で膝を抱えて聴くような歌が好き。きれいでちょっとだけグロテスクな映画が好き。散歩が好き、ワンピースが好き、道に迷うの大好き。
いつか「けむりちゃん」という名の猫と暮らすことを夢見ています。



1.自分の考え方、感じ方、判断力の核をなす12冊
 安倍能成ほか編『少年少女世界文学全集』(講談社、1959年)
高村光太郎『日本詩人全集9 高村光太郎』(新潮社、1971年)
コロナ・ブックス編『画狂人ホルスト・ヤンセン――北斎のまなざし』(平凡社、2005年)
ハーモニー・コリン『クラック・アップ』(山形浩生/渡辺佐智江訳、ロッキングオン、1998年)
安部公房『密会』(新潮社、1977年)
せなけいこ『ねないこだれだ』(福音館書店、1969年)
岡崎京子『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』(平凡社、2004年)
鴻池朋子『オオカミの道を捜して――鴻池朋子展記録集』(産経新聞社、2009年)
アゴタ・クリストフ『悪童日記』(堀茂樹訳、早川書房、1991年)
荒木経惟『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社、1991年)
ガブリエル・ガルシア=マルケス『エレンディラ』(鼓直/木村榮一訳、筑摩書房、1988年)
エイミー・ベンダー『わたし自身の見えない徴』(管啓次郎訳、角川書店、2006年)

2.自分が専門と呼びたい分野(労働を通して考える「社会と個人との二重性」)の12冊
石井光太『物乞う仏陀』(文藝春秋、2008年)
ジグムント・バウマン『新しい貧困 労働消費主義ニュープア』(伊藤茂訳、青土社、2008年)
是枝裕和『官僚はなぜ死を選んだのか――現実と理想の間で』(日本経済新聞社、2001年)
トム・ルッツ『働かない――「怠けもの」と呼ばれた人たち』(小澤英実/篠儀直子訳、青土社、2006年)
大平貴之『プラネタリウムを作りました――7畳間で生まれた410万の星』(エクスナレッジ、2003年)
加藤恵津子『「自分探し」の移民たち――カナダ・バンクーバー、さまよう日本の若者』(彩流社、2009年)
森村進『自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門』(講談社、2001年)
トマス・ポッゲ『なぜ遠くの貧しい人への義務があるのか――世界的貧困と人権』(立岩真也訳、生活書院、2010年)
見田宗介『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)
内田樹『下流志向――学ばない子どもたち働かない若者たち』(講談社、2007年)
本田由紀『教育の職業的意義』(筑摩書房、2009年)
アプトン・シンクレア『ジャングル』(前田河廣一郎訳、春陽堂書店、1932年)

3.「現代性」を主題とする12冊
楳図かずお『わたしは真悟』(講談社、2000年)
多和田葉子『母語の外へ出る旅』(岩波書店、2003年)
リン・ディン『血液と石鹸』(柴田元幸訳、早川書房、2008年)
トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(志村正雄訳、筑摩書房、1992年)
デイヴィッド・クリスタル『消滅する言語――人類の知的遺産をいかに守るか』(斎藤兆史/三谷裕美訳、中央公論新社、2004年)
現代企画室編『大岩オスカール――グローバリゼーション時代の絵画』(現代企画室、2008年)
ヤーコプ・フォン・ユクスキュル『生物から見た世界』(日高敏隆/羽田節子訳、岩波書店、2005年)
クロード・レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、2001年)
筒井康隆『残像に口紅を』(中央公論社、1995年)
柳父章『翻訳語成立事情』(岩波書店、1982年)
前田累『紙の本が亡びるとき?』(青土社、2009年)
ニコラス・ハンフリー『赤を見る――感覚の進化と意識の存在理由』(柴田裕之訳、紀伊国屋書店、2006年)

2010年11月12日金曜日

リーディング・リストの書式について

和書の基本形式: 著者名『書名――副題』(訳者名、出版社、出版年)
・記号およびアラビア数字はすべて全角で。
・副題がある場合は、書名との間に「―」(ダッシュ)を二つ重ねる。
・著者や訳者が複数の場合は「/」(全角スラッシュ)を人名の間に挟む。
・編集や監修の場合は、それぞれ「(人名)編」「(人名)監」などとする。
・スペースは打たない。

洋書の基本形式: 著者名, 書名, (出版社, 発行年)
・すべて半角で。
・書名はクォーテーション(" ")などで挟まず、そのままで。

その他:
・「(2)専門と呼びたい分野( )の12冊」の( )の中にはお好きな言葉を入れてください。
・シリーズ物の場合は、最も重要と思える巻をお選びください。
・ご提出の際は、ご本名と簡単な自己紹介文をお書き添えの上、大洞(atsdd.eventアットgmail.com)までお送りください。

(大洞筆)

ありがとうございました (管啓次郎)

本日、読み書きクラブの第1回。19名参加という、
予想を上回るにぎわいで、充実した2時間をすごしました。

とにかく自分で文を書かなくてはお話にならないので、臆することなく毎月の課題をこなしてください。成績をつけるわけでも、やらなくても罰則があるわけでもありません。すべてはひとりひとりのやる気にかかっています。

このブログも気楽に利用して、種々の情報交換の場といたしましょう。大洞くんにはお手数ですが、よろしく。

それではまた来月! 秋から冬にむかう日々を大切にすごしましょう。

2010年11月2日火曜日

自己紹介(大洞敦史)

1984年生まれ。多摩川のほとりで育つ。中学1年から不登校。6年間のパチンコ生活、大検と放送大学を経て、2010年4月より明治大学大学院DC系管啓次郎研究室に所属。生活綴り方運動の歴史を研究中。趣味は三線、中国語、深夜の散歩など。愛する土地は台湾、神保町、札幌、宮古島、パリなど。私塾の精神に則った異なる者同士の集いの場をつくることが夢。
ブログ「ことば鉄道のホーボー」。facebook:Atsushi Daido

大洞敦史の36冊


1984年生まれ。多摩川のほとりで育つ。中学1年から不登校。6年間のパチンコ生活、大検と放送大学を経て、2010年4月より明治大学大学院DC系管啓次郎研究室に所属。生活綴り方運動の歴史を研究中。趣味は三線、中国語、深夜の散歩など。愛する土地は台湾、神保町、札幌、宮古島、パリなど。私塾の精神に則った異なる者同士の集いの場をつくることが夢。
ブログ「ことば鉄道のホーボー」。facebook:Atsushi Daido



(1)考え方・感じ方・判断力の核をなす12冊
アラン『わが思索のあと』(森有正訳、思索社、1949年)
エーリッヒ・フロム『生きるということ』(佐野哲郎訳、紀伊国屋書店、1977年)
大越俊夫『幻の鯉のぼり――師友塾物語』(白揚社、1995年)
岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社、1993年)
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(高橋義孝訳、1951年)
佐藤優『獄中記』(岩波書店、2006年)
管啓次郎『トロピカル・ゴシップ――混血地帯の旅と思考』(青土社、1998年)
『デカルト=エリザベト往復書簡』(山田弘明訳、講談社学術文庫、2001年)
東井義雄『東井義雄詩集』(探究社、1989年)
福永武彦『愛の試み』(新潮文庫、1975年)
『プラトン全集11 国家』(藤沢令夫訳、岩波書店、1976年)
森信三『修身教授録』(致知出版社、1989年/復刻版)

(2)専門と呼びたい分野(作文哲学、生涯学習、生活形象論)の12冊
芦田惠之助『綴り方十二个月』(文化評論出版、1971年/復刻版)
梅田卓夫/服部左右一/清水良典/松川由博『新作文宣言』(筑摩書房、1989年)
工藤庸子/岩永雅也『大人のための「学問のススメ」』(講談社現代新書、2007年)
鶴見和子『コレクション鶴見和子曼荼羅 人の巻――日本人のライフ・ヒストリー』(藤原書店、1998年)
西川祐子/杉本星子編『共同研究 戦後の生活記録に学ぶ 鶴見和子文庫との対話・未来への通信』(日本図書センター、2009年)
日本作文の会編『生活綴方事典』(明治図書出版、1958年)
橋本義夫『だれもが書ける文章――「自分史」のすすめ』(講談社現代新書、1978年)
長谷川宏『おとなと子どもの知的空間づくり――赤門塾の20 年』(明治図書、1990年)
ベアトリス・ディディエ『日記論』(西川長夫/後平隆訳、松籟社、1987年)
宮川俊彦『作文おもしろ教室』(郁朋社、1986年)
無着成恭『山びこ学校』(青銅社、1951年)
上海市金山区文化局編『中国农民画——金山、东丰、户县、湟中、綦江五地作品集』(出版社・発行年不明)

(3)「現代性」を主題とする12冊
イバン・イリイチ『生きる意味――「システム」「責任」「生命」への批判』(デイヴィッド・ケイリー編、高島和成訳、藤原書店、2005年)
磯貝日月編『環境歴史学入門――あん・まくどなるどの大学院講義録』(アサヒビール、2006年)
伊藤隆二『なぜ「この子らは世の光なり」か』(樹心社、1990年)
今福龍太『群島―世界論』(岩波書店、2008年)
伊豫谷登士翁編『移動から場所を問う――現代移民研究の課題』(有信堂高文社、2007年)
衞藤瀋吉『近代東アジア国際関係史』(東京大学出版会、2004年)
勝方=稲福恵子/前嵩西一馬編『沖縄学入門――空腹の作法』(昭和堂、2010年)
ジグムント・バウマン『コミュニティ――安全と自由の戦場』(奥井智之訳、筑摩書房、2008年、原著2001年)
柳宗玄『かたちとの対話』(岩波書店、1992年)
山口昌男『いじめの記号論』(岩波現代文庫、2007年)
米山優『自分で考える本――情報から創造へ』(NTT出版、2009年)
ヨハネス・メスナー『自然法――社会・国家・経済の倫理』(水波朗/野尻武敏/栗城寿夫訳、ドン・ボスコ社、1957年)