2012年7月19日木曜日

<雨>が落ちてくる灰色の空が(原 瑠美 作文)


 二年ほど前、週に何回か溝の口に通っていた時期があった。東急田園都市線の駅を降りると職場のある複合施設まで送迎バスが出ているのだが、歩いてもせいぜい十五分ほど。気持ちのいい道なので朝夕の散歩がわりに歩いていた。道沿いにモダンなつくりの団地があった。立派な木々が茂る中庭をとりかこむように背の高い棟が配置され、ピロティ式の入り口の脇には花が咲きほこる噴水があった。ちょうど初夏のころで植物がみずみずしく育ち、はじめて見たときはこれこそ楽園だと思った。太陽がかがやく朝はこの楽園がひときわ美しいが、夕闇が深くなるころや薄暗い雨の日に目をひくのは道端の紫陽花だった。のぞきこむと葉のあいだから雨を吸った土のにおいがたちのぼる。それははなばなしい噴水花壇との対比で別世界の植物のようにも見えた。
 そのあたりの紫陽花では青いのが特によかった。灰色の雨の底に、青い花がぼうっと浮かびあがる。その姿にはきまっておごそかな気持ちにさせられた。むかしは梅雨なんてうっとうしいだけでいやだったけれど、それからは紫陽花の季節がなんとなく待ち遠しい。しかし職場も家も引っ越してしまって、もうあの道は歩けないのかとすこしさみしい気持ちでいたら、去年の六月、いまの都内の家の近所に新たなスターがあらわれた。
 それは背の低い、鉢植えの紫陽花で、まっ白な花を咲かせているので天気がいい日に見るとぎょっとするほどまぶしい。角を曲がってすぐの歩道に出してあるから、曲がる前からなんとなく身構えてしまう。それが、空が曇ってくると、たちまちなんとも可憐に見えてくるからふしぎだ。体はちいさいのに、立派な茂みをなす株に負けないくらいおおきな鞠のような花のかたまりを三つもつけているのがいじらしい。雨が降るとその花に雫がたまって、まるで淡い色の着物をまとった乙女が泣いているようにはかなげに見えた。風が吹いたりすると、「あの娘は大丈夫かな」とどういうわけか恋する男の子のような気持ちになった。そうやっていつも通りがかりにみとれていたが、七月に入るとだんだん元気がなくなっていき、ついにはどこかに片付けられてしまった。
 そういえば、日本の伝統のものはなんでもその季節にぴったり合うようにつくられている。着物も六月になると袷から単衣に替えて、襟や帯揚げに絽のものを使って夏を先取りしたりする。湿気でむしむしと過ごしにくいこともあれば雨がつづいて肌寒いときもあるのがこの季節だ。気温が低めの日には、目に涼しく肌にあたたかいものが好まれるという。手元にあった着物雑誌をめくってみると、この季節にふさわしい着物の生地として、夏結城、夏大島、木綿、麻縮、紬縮など、さらっと心地よさそうな名前が並んでいる。縁側に面した薄暗い和室で屋根に落ちる雨音を聞きながら、夏大島なんかを着たおでこの白い美人に冷たい緑茶をそそがれるのもいいな、とまたしてもなぜか男性目線で妄想してしまう。
 中原淳一の『花詩集』によると、紫陽花の花言葉は「高慢」。ちょっとネガティブなイメージがあるのだろうか、かわいいイラストつきで紹介されている花もあるのに、紫陽花は巻末にかんたんな紹介が載っているだけだ。もっとも、最近では市民がひとつの主張のもとに結束することを表して、「あじさい革命」といわれることもある。先日の反原発の抗議行動では、紫陽花の花をかかげて歩く人の姿が目立っていた。個人の力を集めて社会を動かすおおきな原動力としようとする試みに、ちいさな花がかたまって咲く紫陽花は、なにか象徴的な力を与えているようだ。
 もう枯れてしまったのだろうと思っていたら、あの白いスター紫陽花が今年もまたお目見えした。あっと驚いたのは背丈が三倍くらいに伸びていたからだ。朝顔を育てるときに使うような緑の棒にささえられて、三つの白い球体は去年のままに、茎がまっすぐ伸びている。並んでみると胸の高さくらいまであった。きれいな花が咲くまで家の中か裏庭か、どこか人目につかないところで大切に育てられていたのだろう。いちばん美しいときに凛とした姿で表通りに出て幸せを振りまく、これはまさに日本の乙女!角を曲がる前になごりおしくて振り返ると、灰色の空にそっと抱かれるようにして白い花が雨にゆれていた。
 「そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季(折節)に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、翫ぶなり。」世阿弥は『風姿花伝』にそう書いている。梅雨の季節もそろそろ終わるが、あとすこしだけ、静かな雨と薄暗い雲の下で青や白の紫陽花を楽しんでいたい。ただ、「あじさい革命」は本格的な夏が来ても枯れずにつづいてほしい。