2011年2月21日月曜日

カントリー・ガールの亡霊 (大塚あすか作文)

仕事や私的な用事で地方都市へ行くたびに、女子高校生の外見が均一であることに驚かされる。昨年訪れた九州南部のある都市でも、紺色のブレザーに紺色のハイソックスの似たような少女ばかりが街にあふれていた。彼女たちは、制服であることを割り引いても実にそっくりだ。縮毛矯正でもかけているのだろうか、まっすぐ伸びた黒い髪は肩よりやや長いところで切りそろえられ、斜めに流した前髪を皆が皆、大きなクリップで留めている。化粧で描いた眉毛のかたちもほぼ同じ。持っているカバンも、携帯電話にぶらさげた重そうなアクセサリーも、多少の色かたちは違えど似かよっている。ほとんど同じ外見の少女たちが路面電車の座席にずらりと並んで座っている姿は異様であり、けなげにも思えた。

数年間暮らした福岡の街でも高校生の髪型はおしなべて同じようなものだった。パーマをかけることが校則で禁止されているであろうことは予想できたが、なぜ揃いも揃ってああも人工的な直毛を好むのか、わたしは不思議でたまらなかった。あるときその疑問をぶつけてみると、当時行きつけだった店の美容師は、軽く眉根を寄せて言った。

「くせ毛がきっかけで虐めにあうこともあるから、皆して縮毛矯正やヘアアイロンで必死に髪をまっすぐにするみたいですよ」

まったく、ろくな話ではない。

テレビやインターネットを通じて瞬時に情報が伝播するようになった今でも、流行の広がりにはそれなりの時間がかかり、好まれるファッションも全国均一とまではいえない。ある場所に立ち周囲を見渡せば、同じような外見の人間があふれているけれど、都市単位で比べてみるとどこかが違う。差の多少はあれども、ぼんやりとその地域なりの、独特の流行と呼べる何かが存在しているのが見てとれる。

東京でも街によって色があり、そこに集まる人たちはある程度共通した記号を身にまとっている。おそらくそれは、人が街を選んだ結果だ。自分がその街の色に合っていると思うから、もしくは染まりたいと願うから、渋谷を選んだり、銀座を選んだり、下北沢を選んだりする。選んだ場所に通い、そこにいる人々や街そのものに同化しようと姿を似せる。同じ均一化であっても、そこには多少なりとも個人の自由選択がはたらいている。

一方田舎の場合、自分の好みで選べるほど多くの場所も、色もない。まず街というどうしようもない逃れられない枠組みがあって、その中でやはり逃れ難い、統一されたスタイルが生まれているように思えるのだ。都会を離れれば離れるほどその均一性に息苦しさを感じてしまうのは、わたしが自らの育った地方都市に対して、長い間好意的な感情を持てずにいたからだろうか。

わたしは大分県大分市という、ザ・地方都市といっていいくらい典型的な田舎の中核都市で生まれ育った。テレビのチャンネル数は少なかったし、雑誌の発売日は東京よりも二日ばかり遅れていた。雑誌で目にした洋服や雑貨が欲しいと思っても、たいていの場合行動圏内に目当てのものを販売している店舗はない。それでもメディアを通した情報としては一応、東京やその他の都市と大差ないものが与えられていたはずだ。

日本の中心からはるか遠くに住む少年少女は、いつだっておそるおそる都会の流行を取り入れた。スチュワーデス(今ではこの単語自体が死語ともいえるが)を「スッチー」と呼ぶことも、履き口のゴムを抜いてだらしなくくしゅくしゅにたるませた靴下を履くことも、「彼氏」を「カレシ」と語尾を上げて発音することも、男の子がパンツを半分さらけだしながら制服のズボンを腰で履くことも。何もかもすべて、マスコミが全国津々浦々に染み渡らせて、「これが今の若い子にとっては当たり前なんだよ」とお墨付きを与えてくれた頃に、ようやく市民権を得る。当然、都会の少女たちがずるずるした靴下に飽きて紺色のぴったりしたハイソックスを履くようになってもまだしばらくのあいだ、大分の女の子たちはゴム抜きスーパールーズソックスを履き続ける。

不思議なもので、冷たい水に入るときを思わせる用心深い動きで都会の流行に追いすがる一方で、他の地域からはまったく理解されない流行が局地的に発生することもあった。中でも印象深いのは「タオラー」が一世を風靡したことだ。

ちょうどわたしが高校二年生の頃、大分市内の高校生のあいだで「タオラー現象」が巻き起こった。高校生たちが、風呂上がりの中年男性のようにタオルを首にかけ、街を闊歩するというもので、しかもそのタオルはスポーツタオルやブランドタオル、キャラクターものではいけない。新聞屋やガス屋が得意先に配っているような、あの安っぽい、ぺらぺらの白タオルがタオラーたちのヒエラルキーにおいては最上位に位置した。当時、大分の市街地は、やたらとたるませたルーズソックスを履いて、下着が見えそうなほど制服のスカートを短くし、首にタオルをかけたシュールな女子高校生であふれかえっていた。男子生徒も、制服のズボンをだらしなく腰で履きながら首に白いタオルを巻いて、それが格好良いのだと信じていた。

この珍妙な現象はさすがにマスコミの目にも留まり、全国ネットの情報番組で「タオラー」が紹介されたことすらあった。流行の発生源を探そうという試みだったが、結局どこの誰がはじめたファッションなのかはわからないままだった。ちなみにわたしは、タオルを首にかけることもなければルーズソックスを履くこともなかった。どこにでもいる平凡な「人と同じことを嫌う」女子高生で、アニメ『キャンディ・キャンディ』のヒロインのように髪を縦巻きにして、やはり端から見れば珍妙な格好をしていたことには変わりない。

タオラーになることなく高校生活を終え、首都圏の大学に進学して間もなくあるひとつのカルチャーショックを受けた。それまでごく普通に使っていた「ゴリい」という単語についてである。

当時大分市内の学生は、男子生徒の風貌を表すのに「ゴリい」という言葉を多用していた。これは単純に「ゴリラ」を形容詞化したもので、主に運動部に属する、筋肉質で大柄で、顔立ちもやや類人猿めいた男子生徒を指すのに使われた。

「あの先輩、ゴリいよね」「わたし、ゴリい人好みじゃないもん」等々。あくまで「ゴリラ」が語源であるので、該当するのはゴリラやオランウータンに似た人物。小柄でかわいらしい、チンパンジーやニホンザルを思わせる外見は該当しない……と、突き詰めるとそれなりに厳格な区分けがあるのだが、そこでは男の子も女の子も「ゴリい」という言葉の持つニュアンスを共有していたので、定義や許容範囲について深く考えることなく「ゴリい」は日々の会話の中ごく自然に飛び交っていたのである。この単語は若者言葉で、同じ地域でも大人が使うことはなかったように記憶している。

大分から遠く離れた場所で「ゴリい」が全国共通の表現ではないと知り、わたしは若干のショックを受けた。思春期らしい自意識で、故郷の田舎っぽさすら嫌っていた当時、気づかぬうちにどっぷりと地方特有の風習に染まっていたことが気恥ずかしくもあったのだろう。
新しい友人たちは見知らぬ言葉を面白がりながらも、微妙なニュアンスをいまひとつ理解しかねているようだった。「芸能人で言えば誰」と例示を求めてきたかと思えば、まるで的外れな人を指し、「あの人、『ゴリい』に当てはまるんじゃない」とたずねる。しかしわたしも、それまで頭で考えることなく感覚で判断してきているので、彼らに明確な「ゴリい」人の基準を教えることができず、途方に暮れた。

上京して半年も経たないうちに、わたしは「ゴリい」という言葉を使わなくなった。そのまま「ゴリい」はわたしの中で死語となり、以来一度もその単語を使ったことはないし、かつてならば「ゴリい」と形容していたであろうタイプの男性を見ても、その言葉が浮かんでくることはない。高校生の頃に親しくしていた友人たちも皆大分を離れ、わたしたちは方言を使わずに会話を交わすことが当たり前になった。もちろん誰ひとりとして、「ゴリい」などという単語を使うことはなく、今となっては「ゴリい」という言葉の存在自体が夢であったかのように思えてくる。

大分市内の中高生は、今でも「ゴリい」という単語を使うんだろうか。それとも、あのとき、あの場所、あの世代だけで通じる特別な言葉だったんだろうか。そんなことを考えながらこの文章を書いているうちに、もしかしたら「タオラー」も「ゴリい」も何もかもわたしの妄想で、あの頃の大分にもそんなものは存在しなかったのではないかという思いがわきあがり、ふっと怖さと寂しさが背筋を撫でた。