2012年1月23日月曜日

京都、東山、犬の街(原 瑠美 作文)

東山は美しい。三条大橋からまっすぐな道の向こうに見える、ほんの一部だけきりとられた姿さえ、ハッとするほどやわらかな丸みをおびている。「東山」というのは京の街の東側を縁どる山々の総称で、北は比叡山から南は伏見の稲荷山までが含まれる。しかし学生時代に岡崎に住んでいた私にとっては大文字山から蹴上のあたりまでの山並みがやはり懐かしく、東山というと真っ先に思い浮かべるのはこの辺りの景色だ。

学生の一人暮らしだったが犬を飼っていたので、毎日の散歩でこの界隈は歩き尽くしている。春は桜吹雪が石畳を舞い、夏はしたたるような緑が街をぬらす。秋の終わり頃は特に美しく、紅葉に色づく街並を南禅寺のあたりから美術館の近くまで歩いていると、犬は何度も観光客に呼びとめられ、よいところに住んでいると羨ましがられ、おりこうさんだと誉められていた。

犬の名前はタケという。小学生のときに盲導犬の調教師になりたいと思いつめてやっとかってもらった犬だ。ゴールデン・レトリバーの雄なのだが、子犬の頃に伝染病にかかったせいで成長が遅れてしまい、結局雌犬と同じくらいの大きさにしかならなかった。それでも町中では目を引くほど大きい。タケを連れて住める場所なんてそうそうないだろうと思っていたのだが、最初に入った不動産屋に紹介された物件に、あっさり入居が決まった。丸太町通りに面した比較的便利な場所にある、立派な日本家屋の裏に隠れてひしめくように建っている長屋の一室だった。日当りは悪い、設備は古い、隣の部屋からは音も明かりも漏れてくる。屋根はおそらく洛中洛外図の隅に描かれているような板張りに石をのせた類いのものだっただろう。雨が降ると豪快なリズムを刻んだ。それでも部屋の前がちょうど物干し場になっていて、おじさんばかりの住人たちがほとんど洗濯をしないために、タケは比較的広いスペースを自由に使うことができたのは都合がよかった。

鴨川沿いを歩くのもよい気分なのだろうが、タケとの散歩では決まって山の方に足が向いた。丸太町通りを東に進み、平安時代の陰謀に思いを馳せながら鹿ヶ谷を通り過ぎ、小さな渓流のように流れの早い琵琶湖疎水を超えて、脇から南禅寺に入る。寺の奥には明治時代に造られた水路閣があって、いまでも琵琶湖からの水はここを通って運ばれてくる。

この橋の上を、水の流れに沿って歩いていけることはあまり知られていない。心地のよい水音を聞きながら地下鉄蹴上駅の裏手まで出ると、そこは多くの犠牲者を出して完成した疎水の記念公園になっている。そこから東山に分け入っていくように進路を取ると、急な坂道を登りきったところに日向大神宮という神社がある。ここはいつ行っても誰もいない、犬と一緒でなければ逃げ出してしまいそうなほど静かな場所だ。神社は山に囲まれている。松や杉が多く、ここは針葉樹のテリトリーになっているらしい。そびえ立つ緑の絶壁を背景に、大小さまざまな古代の茅葺き屋根が配置された境内を見渡すと、思わずため息が出る。上り坂とさらに続いた階段に息をはずませて、ふたりで奥の神殿へと向かう。神殿には月のように丸い鏡が置かれている。天照大神が宿る鏡だ。しかし今はいない。ように感じる。私たちは更に奥へと舗装もされていない小道を登っていく。

山と神社の境界に小さな洞窟がある。天の岩戸、かつて女神が隠れた穴を模したものだ。一度だけ、私は勇気を出してこの穴を通り抜けたことがある。大仏の胎内くぐりと同じで開運のご利益があるそうなのだが、くの字型に折れ曲がった洞窟の中は真っ暗でこわい。それでも弱虫のままでいるのは癪なので、私は犬のリードを握りしめて突入した。暗闇の中にろうそくの光が見える。こんなところにまで神がまつられているのだ。闇に揺れるろうそくは本当にこわい。けれど私はもう引き返すこともできず、目を固く閉じて、タケにすがるようにして洞窟を抜けた。永遠に思えるほどの長い道のりだったが、やっとの思いでたどり着いた出口からはちょっと首を伸ばすと、すぐそこに入り口の立て看板が見えた。

さすがにこの日は疲れ果てて岡崎まで帰ってくると、美術館の前はやはり観光客でにぎわい、平安神宮の大鳥居は西日を浴びてまぶしく朱い。東山も赤に黄色に粧って、それを見上げながら歩いていると、犬を連れた人たちに声をかけられる。立派なわんちゃんですね、散歩はいつもこの辺ですか、毛皮にはキャベツと鶏肉がいいんですよね、それではまた。東山が紫の夕闇にしずむ頃、私たちも長屋に帰りつく。耳の後ろのやわらかく縮れた毛をなでてやって、両手で顔を挟みこむと、タケは息を詰めるほど喜んで、瞳をうるませて私を見あげる。