2011年5月27日金曜日

冒険が始まる (原瑠美書評)

説明しがたい情熱に、ある日突然取りつかれることがある。『ニューヨーク・タイムズ』など数誌に寄稿する若手ジャーナリストであるアダムは、旅先でふいに「果物から呼びかけられた」と感じ、果物についての本を書こうと思い立った。果物に関する書物を読みあさり、熱帯地方への旅を繰り返し、ときには危険を冒してまで自ら見聞きした情報をもとに書かれた本書は、果物の手引書に留まらず、生きることそのものへの示唆を与えてくれる、力強い一冊に仕上がっている。

果物をめぐるアダムの旅はさまざまな冒険に満ちている。すさまじい臭気を放つドリアンをアパートの部屋に持ち込んだときは警察沙汰になりそうになり、果食主義者からあやしげな食品を勧められて、思わずたじろいだこともある。果物をめぐる密輸や汚職、不正な薬品使用に迫ろうと、北アメリカの果物市場の裏側に分け入っていく過程では、手に汗握る場面も多い。

なぜ人は果物にここまで心惹かれるのか。アダムはこう説明している。まず、それが植物の生殖活動と深く関わっているということ。花が子孫を残すために果実を結ぶ様子は、性のイメージを想起させるとともに、生命の豊かな力を感じさせる。また、果物が見せる無限の多様性は、人間の知的好奇心を刺激し、すべてを知りたいという欲求を掻きたてる。さらに果物は追憶へと人を誘い、子供の頃の記憶を甦らせることもある。アダムはそんな魅力に魅入られた変人奇人を取材しつつ、自分もいつしかフルーツ・ハンターへと成長していく。

しかし、アダムは完全な果物狂にはならなかったようだ。「ぼくたちは食の源から引き離され、食物が自然のなかでどんなふうに育つのかも忘れてしまった。」そう語るアダムには、果物を通して生を考えようとする若者の姿が見える。

本書が終わりに近づいても、アダムは果てしない果物の世界の、ほんの一端を垣間みただけのような気がして呆然としてしまう。果物のすべてを知って満ち足りた気持ちで暮らすユートピアには、永遠にたどりつけない気がする。しかし、「ユートピアのない地図など一顧だにする価値もない」と彼は言う。いずれ必ず訪れる死を見据えながらも、手の届くはずのない、完全な世界の実現に向かって全力で進んでいくことが、生きるということなのかもしれない。本書はそんな人生の冒険の始まりにふさわしい。次の世代のフルーツ・ハンターは、きっとこの本を手に取る若者の中にいる。

(アダム・リース・ゴウルナー『フルーツ・ハンター 果物をめぐる冒険とビジネス』立石光子訳、白水社、2009年)