2011年5月2日月曜日

あなたは旅人ですか (Chiara作文)

ローマの町の治安の悪さは、凸凹(でこぼこ)な遺跡の、隅の親石でまどろんでいる猫に聞くまでもない。ローマの猫、と言えば、この町の遺跡にやたら猫が多いのは、ネズミ退治に置かれているのであって、誰かが飼っているわけじゃない。日本では、犬は外で猫は中、と大概決まっている。室内犬も昔は「座敷犬」なんて偉そうな名前で、子供心にも偉そうだと思っていた。しかしローマでは、犬は家人とともに暮らし、猫は大抵風来坊で家には入れてもらえずに自分の食いぶちは自分で稼ぐ。ローマではないがシチリアでアカザエビの美味しい浜のレストランに行く坂道で、殺気立った猫の視線を背中に感じ振り返り、眼をとばしていた猫に「わかったよ。ついておいで」とため息交じりに声をかけたこともある。

いやいや猫より怖い人間の話をしよう。

もしローマを旅するあなたにたっぷりと時間があるならば、ターミナル駅とヴァティカン市国を結ぶ64番のバスを、どこか途中の、できれば人の少ない安全なバス停で、じっくりと眺めてみるといい。鉄道と地下鉄とバスターミナルが交差するターミナル駅から町一番の観光名所のヴァティカン市国を目指すのは観光客と決まっている。64番のバスには観光客がどっさりと積まれているのだが、観光客は全乗客の3分の1程度でしかない。あとの3分の2は、見栄っ張りで洋服にはお金をかけるローマっ子にはとても見えない、顔は浅黒く身なりもほぼスリだと断定できる皆さんだ。バスの乗客の3人に1人である観光客があとの2人に狙われている。つまり観光客はこの狭いバスの車内で2人の従者をしたがえていることになる。豪華客船並みのサービスだ。

旧市街も物騒さにおいてはバスの車中に変わらない。観光客のバッグをひったくったバイクが、石畳の狭い道のショウウィンドウを右に左に吸い寄せられて歩く気ままな人の流れのあいだを巧みに走り抜けていく。バイクにタックルをかけようなんて向こう見ずな人間は誰もいない。警官でさえ「マンマミーア」と肩をすくめるだけだ。     
年に2回のバーゲンにいそいそでかけ、パトカーの眼の前なら安全と駐車して車に帰ったら、バーゲンで買いまくった荷物がトランクの中からそっくり消えていたという話を聞いたことがある。パトカーの中でおしゃべりに夢中な警官に文句をいったら、「それ、俺の仕事じゃないし」と答えたそうだ。
かくしてバッグにおきざりにされた観光客は茫然と立ち尽くす。それでもこの町の救いは「かわいそうに。警察がすぐ来るからね。泥棒はつかまらないけど。」と言って慰めてくれる人が群がるようにいることか。早口のイタリア語で慰められたところで、残念なことに観光客の耳には波の音のようにしか聞こえないのだろうが。

ある日、親しい老神父が達者な日本語で、「この町はカトリックの町ね、でも泥棒だらけね。恥ずかしいね。カトリックの町なのにまずいね。カトリックのせいかもしれないからね、大問題ね。秘密に調べたね。そしたら、むかーしのローマのときからここは悪い人がいーっぱいいましたね。カトリックが来る前から泥棒はいましたね。泥棒はカトリックのせいじゃなかったね。安心したねえ。」と話した。人生の大半を神に祈り、宣教のために極東や未開の地を渡り歩いた善良な神父を悩ませるほどに、この町の有り様はひどい。

そこが巡礼地と呼ばれていても、観光地というものはそういうものらしい。

イタリアは南に行くほど犯罪率は上がっていく。しかし、南に行くほど食べ物は美味しく、人は楽しい。そして海も美しいから、旅人には悩みの種だ。ナポリ湾に沈んでいく太陽が海に反射し、黄金の道のような一筋を描き出す。ローマ帝国の過去の栄光を感じる瞬間だ。この一瞬を見るためなら命も惜しくない、そう思っても不思議ではない。末期がんだった伯父が、「ナポリを見て死ぬ」と日本からやってきたことがあった。「人生最後の思い出がひったくりでもいいの?」とナポリ行きを思いとどまらせようとしたが彼は納得しなかった。ヴェスヴィオ山にまで登り、ナポリ湾を眺め、満足な旅を終えて、静かに人生の旅も終えた。

第二次大戦直後、その美しいナポリの港にアメリカ海軍の軍艦が入港した。ちっぽけな船が並ぶナポリ湾で威容を誇るその船にイタリア人は目を見張った。ムッソリーニを追いやって連合国側に寝返ったイタリアも、しぶとく粘りイタリアに陣取るドイツ軍には閉口していた。その居直りドイツ人を追い払ってくれたのがアメリカ人だ。大歓待を受けたに違いない。しかし、その船をよだれを垂らして眺めている悪党がいたことに、人のいいアメリカ兵が気づくはずもない。悪党どもは、船に乗り込み、「掃除しますから」とか「水と食料の補給が必要でしょう」とか、よくは知らないが適当なことを言って、アメリカ兵を一人残らず船から下ろした。ほどなく船は岸壁を離れた。あわてるアメリカ兵を港に残して。

その後、その船の消息はいっさい途切れた。巨艦がどこに運ばれたのか、入り組んだ島陰にでも隠したのか、それだって随分目立っただろうに。大体ただの悪党がどうやって操舵したのか。疑問は数限りなく頭に浮かんでくるのだが、とにもかくにも船は姿を消した。多分あっというまに解体されて売り払われた。やる気のない警察がぐずぐずとしている間に。     

ナポリの路上に停車されている車でハンドルが鋼鉄製の輪っかでロックされていないものは数えるほどだし、ポケットの中の財布なんてア・ピース・オブ・ケイク(おちゃのこさいさい)。ローマでは見つからないような品もナポリならば容易に入手できる。もう10年以上前のことだが、「エルメスのバーキンのゴールド」、私には呪文にしか思えない単語を日本から来た観光客の多くが欲しがった。しかし、ローマの店で見つけられることは決してなかった。なんでも日本ではほとんどプレミアものとからしかった。その呪文を写真で見せられて、これを見たら必ず買っておいてね、と言われた。値段を聞いてひっくり返ったが、日本に帰ればこの2倍で売れる、と耳元で囁く悪魔もいた。その「エルメスの・・・」のまさにそのものを持っているイタリア人の知り合いがいた。「ごめんなさい。それどこで買った?」と聞いてみたら、あっさり「ナポリよ」と返ってきた。「ナポリか・・・」、誘惑に駆られて、勇気を出して行ってみようかと思ったが、すぐに考え直した。店を出たが最後、ひったくりにアタックされて、その呪文は消え去るに違いない。ビビデバビデブー、シンデレラのかぼちゃの馬車のように。運が悪ければ、腕の一本も折るかもしれない。買い物も命がけなのである、ナポリでは。
それでも、この町と海を見て死にたいと思う観光客は死ぬほどいる。


NYでわずかな金を目当てに拳銃でおどされて命の危険を感じ、ヨーロッパでまんまと身ぐるみはがされた旅人は、善良な魂を求めてアジアに向かう。
スリもひったくりもいなさそうな鄙びた村なら大丈夫、だと思っている旅人も、ナポリに旅立つ観光客とさしては変わらない。藁ぶき屋根の家が立ち並び、緩やかな斜面が続く山並みが村をその手に抱く、そんな村の車も通らない通りで、藁で編んだ素朴な鳥かごや水で薄められた醸造酒を不当な値段で買わされることだってないとはいえない。

どんなに美しい村でも、その美しさが世間に広まれば、財布の紐がゆるんだ旅人と、旅人を目当てにした小賢しい人間が集まってくる。善良な村の人をだまして土地を借り店を開き、たった一本しかない村の動脈である通りにはぼったくりの土産物屋が並ぶことになる。美しい村にも美しくない心を持った人間が一握りはいるから、土地の人が作る高くてまずい料理に旅人が首をかしげることもあるだろう。

旅慣れた旅人ほど手に負えないものはない。メモリーカードが埋まってしまうほどの写真を撮って、ご自慢の一枚をブログに貼り付ける。そして、自分が見つけた珠玉の村を夢見るように語る。「とても素敵な村を見つけたんだ、君を連れて行ってあげたいな」と耳元で囁くような。旅人が気のいい奴ならば、「よし、今度みんなで行こう!」なんて雄叫びをあげるかもしれない。親切心も度を越して、ガイドブックにアクセスまで投稿してしまったら、もはやこの旅人は自爆している。

善良な旅人はこうして、善良な人が住む美しい村をひとつひとつ潰していく。

だから――正しい旅人は何も語らない。何も書かない。

旅に出るなら、何も手に持ってはいけない。カメラもノートパソコンもガイドブックもすべてごみ箱に捨てて旅に出よう。この日のために鍛えぬいた体と、誇らしげについている筋肉は、どこまでも歩いて行けることを保証してくれる。

若者よ、旅立とう、地球の果てまで。