2011年9月28日水曜日

「被災者の死を「二人称の死」へ変換する試み」(近藤 早利 書評)

この本には、東日本大震災の際、実際にあった事柄をモチーフとした短編マンガが九編とコラムが一編、収められています。

孫を守ろうと抱きかかえたまま、亡くなったおばあちゃん。
生前の母に対する態度を悔いる母子家庭の娘。
飼い主であったおじいさんを喪った犬のタロ。
職業的使命に従うよりも身の安全を考えてしまったがゆえに、患者を守れなかったことに苦しむナース。
頼りないと思われていたが、住民の多くを救って殉職した警察官。
放射能による高濃度汚染地区からの退去命令に従わない老夫婦。
被災者が家族の死を受容してふたたび立ち上がるまでを見届けた自衛隊員。
川縁の瓦礫の山を片付け、まわりを菜の花で一杯にしたおじさん。
その後、コラムとして、作者自身のボランティア体験記が挟まれ、最後に「再生」と題する一編があります。

柳田邦男さんは、死には「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」があるといわれました。一人称の死は、自らの死。二人称の死は、家族や親しい友人など、自分の生活の一部を形づくっていた人の死。そして、第三者の死。
しかし、東日本大震災で亡くなられた人の数を思うと、もうひとつ、統計的な死、というようなカテゴリーを付け加えなくてはならない気がします。

震災後、テレビやネットで悲惨な現実と悲しい訃報に接する度に、大泣きしてばかりいた作者は、親しい人から勧められて、泣き続けるエネルギーをマンガと文章に定着することを決意しました。それは、統計的な死を、二人称の死に変換し、死者たちを彼岸から私たちの心の中に引き戻そうという試みだったといえましょう。

作者の試みは、最初ブログで発表され、ツイッターを通じて大きな反響を呼ぶこととなり、一冊の本に編まれることになりました。

最後の一編「再生」の中で、ひとり遺された母子家庭の娘の山中ゆかりは、卒業生総代として答辞を読むことになります。私は、この答辞の文章のなかに、間違ったシステムの上のみせかけの繁栄に安住してしまっていた我々が、もっとも嚙み締めなければいけない言葉が書かれていると感じています。その言葉を、ここに引き写したい気持ちを抑えるのが苦しいですが、やはり、その部分は、この本を手にとって読んで頂きたいと思います。

(みすこそ『いつか、菜の花畑で〜東日本大震災を忘れない』扶桑社、2011年)