2010年11月17日水曜日

線路の上の教室 (大洞敦史)

誰かに対して愛情を抱いたら、相手のことをより深く知りたいと願うのが人の常だ。異国を愛した人ならば、その国をより深く知るために彼の地の言葉を身につけようとするだろう。愛の対象が異国の言葉そのものであったなら、これほど幸運なことはない。生身の人間や異国の土地と自己との間に横たわっている距離が、言葉においては不在だから。本書は中国語の入門書であると共に、中国語を愛してやまない著者がその心情を露わにした告白の書である。

著者は長年、中国語圏の新聞の人気コラムニストとして活躍してきた人で、二十冊近い中国語の著書がある。十九の春に藤堂明保から中国語の基礎を学び、翌年ひと月ほど北京に滞在する。ちょうど対日感情が悪化していた時期のことで、物陰からネギが飛んできたりもして第一印象はあまり明るいものではなかったようだ。ところが最後に修学旅行で訪れた江南地方にて北京とは全く異なる風景や文化習俗を目のあたりにし、中国の広さ多様さに衝撃を受ける。大学卒業後は新聞記者、のち文筆家として、大陸のほか香港や台湾、中国系移民の多いトロントなどを股にかけ筆を揮ってきた。

本書には中国語の枠組みをなす発想の仕方についての解説をはじめ、諺や慣用句、文法や発音の手ほどき、学習の秘訣、中国や台湾の人々の生活模様や料理、音楽、出版事情に関する話などが、無数の珍奇な体験談や苦労話を散りばめつつ語り下ろされている。著者が勧める学習法の中で面白いのは、中国の長距離列車で乗り合わせた人に片っ端から話しかけるというものだ。線路の上こそが著者自身にとっても最良の教室であった。ある旧正月の夜、列車の片隅にひとり坐っていた著者を乗務員たちが新年を祝う席に招き、御馳走をふるまってくれた。又ある時には車中で知り合った人から結婚式に出るよう言われ、来賓として挨拶まですることになった。

この本を読んだことをきっかけに中国語への愛情が筆者の内に芽生えたのは半年ほど前の事、今では日々中国や台湾の友人知人と片言で話し、メールを交わし、意思が通じ合うことの喜びと尊さを噛みしめている。過去三年ほど学んできたもののネイティヴと差し向かいで話す経験がほとんど得られなかったフランス語と較べ、愛着の強さにおいても習得の速度においても桁が違う。言語への愛は、人への愛に連結することで輝きを増していく。

(新井一二三『中国語はおもしろい』講談社現代新書、2004年)