2011年10月19日水曜日

「かわいい人」(原 瑠美 書評)

 小さな星からやってきた王子さまが、こんなにもかわいいと思ったことはない。今までに何度か読んだことがある『星の王子さま』では、王子はいつもお話の中の存在だった。「ぼく」と王子の出会いは遠い砂漠で起こった、もしかすると夢の中のことだったかもしれない出来事。それが今、王子は自分よりも小さな、守るべきものとして、確かに存在したのだと思える。

 この本で、訳者はル・クレジオ原作の映画『モンド』の主人公に、王子の姿を重ねていると言う。どこからともなく街にやって来て、人々とふれあい、また去っていくストリート・キッドだ。確かに王子も風のように現れ、生意気な話し方で突然「ぼく」に馴れ馴れしく近づいてくる。「ちび王子」と呼ぶにふさわしい、ひょうひょうとした表情が目に浮かぶ。そんな王子に、「ぼく」はいらいらさせられることもある。しかし王子が泣き出すと、「ぼく」はいてもたってもいられなくなり、乗ってきた飛行機は故障していて、一人で砂漠に取り残されているという差し迫った状況も、王子をなぐさめることと比べたら、どうでもよいことに思えてくるのだ。

 王子が自分の星を捨てて地球にやってきたのは、どうやら星に一本だけ生えていた、薔薇の花が原因らしい。花は信じられないほど美しく、王子を幸せな気持ちにさせてくれたが、とても気取り屋で、傲慢でもあった。彼の愛を試すように薔薇が繰り出す馬鹿げた言葉に嫌気がさして、ある日ついに旅立ってしまったことを、王子は後悔しているように見える。花の言うことは、「やさしい気持ちで聞き流してやればよかった」と「ぼく」に語る。そして王子のこの薔薇への思いこそが、彼をとても壊れやすいものに見せているのだ。

 かわいいかわいいちび王子。王子に何かしてやるだけで、「ぼく」は「パーティみたいにすてきな気分」になることができる。その反面、王子の寂しさに触れて、「ぼく」は心を痛めもする。そんな「ぼく」の語る言葉に、私たち読者の心もまた、喜びと悲しみの間を大きく揺れ動く。

 読書というのはつらい行為だ。せっかく始まった物語が、いつか必ず終わってしまうのだから。物語と出会うためには、終わりへと自ら向かっていかなければならない。ちび王子に会うには、彼と別れる覚悟をしなければならないのだ。けれどこうして物語の寂しさを現実の痛みとして受けとめるとき、読書は意味のある時間に変わるのかもしれない。

(サン=テグジュペリ『星の王子さま』管啓次郎訳、角川文庫、2011年)