2011年10月15日土曜日

神は何をしていたのか (Chiara作文)

震災から二週間ほど経った頃、代母(洗礼名の名付け親。生涯を通して信仰の先導役となることを期待される役目。男性ならば代父、いわゆるゴッドファーザーである。)からメールで添付ファイルをひとつ受け取った。中高のクラブの顧問であり恩師である代母は教育の一線を退き、米国中西部の雪深い地の、自分より老いたシスター達が暮らす修道院で奉仕しながら大学院に通っている。八〇歳まであと一息。長年英語教師として教鞭を執ってきたが、さらに宗教の教師資格を取ろうというのである。
肥満にして高血圧、飽くなき食欲と戦うこともなく、彼女のなすがままの生活習慣を見て「まだまだお迎えはこないでしょう。」と断言できる医師は誰もいまい。もはや半数以上の脳細胞が壊滅状態にあるそのおツムに何を詰め込むのか。ピカピカの新しい知識は教壇で披露されることもないままポンコツな肉体とともに昇天してしまうに違いない、と不肖の教え子ならずとも考える。「あそこは寒いんだから。外と内の温度差でさらに血圧は上がるだろうし、雪かきだって先生にはできないでしょ。ほとんどくたばりに行くようなもの。悪いこたあ言わないから、やめときなさいってば。」と止めてはみたが、耳が遠いのと相まって聞く耳を持たない。「わたしゃ行くのよ。絶対行くのよ。」と言いながら旅立った。
さらに特異な恩師のキャラはかなりのお節介。「生きているならウンとかスンとか言わんかい。」と忙しい私にせっせとメールを送りつける。時には「うちのシスター達が観たいと言っているから、ローマに行って教皇様のビデオを買ってこい。」と呆れるような命令も下す。面倒なのが、ボケ防止なのか、それとも昔の記憶は鮮明だが最近の記憶は不明瞭だからなのか、50年前に留学したイタリアが懐かしいらしく、イタリア語を交えたメールを送りつけてくることだ。イタリア語の習得をとっくの昔に放棄した私を困惑させていることがわかっていない。
とはいえ、彼女のお節介も的をすっかりはずしているわけではない。私は神学大学で学び、神学の理解という意味では代母の「導き」を必要としてはいないが、信仰の面では幼稚園児並みだからである。毎日曜日のミサには「説教がつまらない。」「日曜の朝に起きろって? ムリムリ。」と難癖をつけて行かないから、いまだに式次第が頭に入っていない。立ってはいけないところで立ちあがり、切ってはいけないところで十字を切る。祈祷文もまったく違う文言を口走るし、「さあ、みなさんでロザリオの祈りをいたしましょう。」なんて言われると、お経は勘弁してよと思いながら、携帯を耳に当て存在しない相手に「あー、それでは今すぐ確認します。」なんて言いつつ会堂を逃げだす。私が洗礼を受けたことを知った母校の機関誌に、「札付きの不良学生が卒業後二十数年を経て洗礼を受けました。神はそのときをじっと、忍耐強く待っておられたのでしょう。神には神のときがある、その言葉を体現するような事例ではないでしょうか。このようなこともあるのですから、私達も諦めずに宣教に励みましょう。」と書かれて憤慨したこともある。こんなだから、年老いた代母はしょっちゅう連絡してきては、「もうすぐ復活祭です。御復活の前には告解をして悔い改め、清々しい気持ちでその日を迎えましょう。」などとメールをよこす。” I have nothing to confess!(懺悔しなきゃならないことはなんにもありませんから)” などと教え子がキリストに向かって悪態をついているとは露ほども知らずに。
しかし、不肖の代子(信仰上の子供)も不承不承神と向き合わなくてはならぬときがある。
三月十一日、東北の太平洋沿岸部を飲みこんだ津波は、日本人の誰の心も黒い波の闇に引きずり込んだ。
人里に迫りゆく津波のその刃の先端を見つめながら、信仰を持つ者ならば誰もが、ひとりでも多くの命を救ってほしいと神や仏に祈ったはずである。どうぞ、この刃が無垢の人々を見逃してくれるように、と。
過ぎ越しの夜、贖いの羊の血を塗られたイスラエル人の家々の門を神が通り過ぎ、エジプト人の長子だけが神の手の刃に倒れた。どうぞあの夜のように、人々をその刃先から逸らせてください。ここにいる人々はすべてあなたの創った者たちで、あなたを知らない者にしても、ほとんどすべては善意の人々です。そしてすべての人があなたに比べれば無力で脆弱な人々です。キリスト者としての私の祈りは、叫びに近かった、と思う。
しかし、祈り、頭を垂れていた私は突然神に向かって顔を上げ、「なぜ?」と問うた。神はなぜ平和に暮らしていた人々の命をもぎとる行為を許したのか。神が万能であるならば、なぜ地の揺れを、ゆるい曲線を描きながら進む大波を、止めることができなかったのか。すべてのことが神の計画のひとつだとしたら、一万数千人の命を奪うことも神の計画なのか。神はそれほど無慈悲なのか。神は人を愛するが故に、「ひとり子」であるイエス・キリストを地に遣わした、と私達は教えられている。その神がなぜ人々を見捨てることができたのか。
ひょっとしたら神はいないのではないか、自分達がいると信じている「神」は思い込みの産物ではないのか。
神はいないかもしれない—————————そう思うに足る現実の中に私達はいる。

その私を見透かしたように、震災後二週間ほど経った頃、代母からファイルがメールに添付して送られてきた。ファイルの名は’Cross in the sea ’ 。まるで世界が海に飲みこまれたように、満々と水を湛えゆるやかな波を起こしている海に、突き刺さる十字架とそこに架けられたキリストの絵であった。キリストは苦しい表情を浮かべ、海も空も不気味なほど暗い青で塗られている。波間に浮かぶキリストと十字架は、死者の魂とともに漂っているように見える。これを送ってきた代母の意図は、「イエスさまは、死者の魂をその手に抱き、天に昇られた」なのであろう。しかし私の眼には、キリストは死者の魂の重さに耐えかね、苦渋の表情を浮かべているようにしか見えない。生への惜別をする時間も持てず、愛する家族を思いながら失われた命を支えることは、キリストにさえ重すぎる。そして、代母が考えているように、死者がすべて天国に迎えられたとしても、生き残った家族も救われたと言えるのだろうか。
神は耐えられない試練は与えない、キリスト者の多くが口にする言葉だ。必ず耐えられるのだから、歯を食いしばって生きていけ、と言うのである。しかし、残された泥だらけのランドセルを前にした親に「耐えられる試練」だから、と誰が言えるのか。誰がそんな試練に耐えられるのか。神にさえ耐えかねる苦しみではないのか。それでも、耐えよ、と言うのであれば、その声は神ではない。
どこかの知事が「これは天罰だ」と言った。確かにそうかもしれない。すべての人間ではないが、私達は長らく間違った価値観の中に生きてきた。心地よい生活のために限られた資源を無駄に使い、快適さをより経済的に手に入れるためにウランやプルトニウムという人間の手には負えない物質を普段の生活に近付けてしまった。電力不足を補い地球温暖化を防ぐために原子力発電所は必要だ、と考えることはあっても、暖房を消して寒さに耐えようとは考えたこともなかった。この震災は日本が新しい道に進んでいくための試練であったのかもしれない。それでも、その試練が純朴な東北の人達の上に降りかかったことに、日本人は悲しみを覚え、知事の言葉に違和感を持った。この混乱の中にあって東北人が見せた品格を我々は誇りに思うが、日本人が世界から集める尊敬がその犠牲の上に成り立っているのであれば、それは我々の望むところではない。
ノアの箱舟は、神を信ずる者だけを乗せて波を乗り切った。
この震災で命を失ったのは、神が最も愛する人々であった。高台に人々を誘導するために逃げ遅れた人、津波警報を知らせるために有線放送のマイクから離れなかった若い女性、衛星電話を取りに戻った病院職員。ノアの箱舟を神が用意していたならば、彼らこそが乗るべきだった。そして箱舟を用意することもなく波を起こしたならば、神に慈悲の心は無い。
神は何をしていたのか。波間に漂う善良な人々になぜその手を差し出さなかったのか。人や町が海に沈むことを知っていたならば、なぜあなた一人がその苦しみを背負わなかったのか、私は送られてきたキリストの絵に問いかけた。
神のなさることに非合理は無い、年老いた聖職者は受洗前の私に言った。しかし、今私達の目の前にあることは非合理以外のなにものでもない。
寄り添うべき時にそこにいなく、救いを求めて伸ばされた手を掴むことなく見捨てるならば、その神は何の意味があって存在しているのか。

昨日の五月一日は、ヨハネ・パウロ二世が福者に列せられた日であった。神の慈悲、そして栄光にスポットライトが当たる式典をネットで見ながら、歴史においては東欧の民主化の一端を担い、神より啓示を受けた預言者であった彼が生きていたら、どう私達に答えたのか。         
そしてキリスト者である私は、失われた命の意味をどう説明するのか。信仰を持つ者すべてが自問しているのだと思う。