2011年11月13日日曜日

「正しさを前に」(辻井 潤一 書評)

昭和16年夏の敗戦。ともすれば、そのまま受け流してしまいそうになるが、すべては、この一見平凡に思えるタイトルに集約されている。

本書は、太平洋戦争における日本の敗戦は開戦前から既に予測されていた、という史実から展開していく。予測を立てたのは、昭和16年4月、軍・官・民から選りすぐりの三十代の俊英、三十余名を集め設立された内閣総力戦研究所の研修生たちだ。同年8月、彼らは、それぞれが総理大臣や閣僚、次官などとなって模擬内閣を作り、様々なシミュレーションを重ねた結果、「日本必敗」という結論を導き出した。その結果は当時の近衛文麿内閣に対し発表されたが、その場に陸軍大臣として同席し、10月より首相となった東条英機率いる内閣は、12月8日、真珠湾攻撃によって太平洋戦争を開戦に至らしめる。「必敗」という「結論」が提示されながら、なぜ日本は戦争に踏み切ってしまったのか。著者は丹念に分析していく。

大きな要因として、当時の二重権力構造が挙げられている。東条英機が首相に指名された理由は、おそらく米国との戦争を望んでいなかったであろう天皇の忠実な信奉者であり、軍部に圧倒的な影響力を持つ東条をトップに据えれば戦争は避けられる、という思惑があったからとされている。しかし、大日本帝国憲法下における当時の首相は「政府」の長ではあったが、もう一方の「大本営」と権力を二分していた。満州事変から日中戦争を経て、戦争をすることに固着していた大本営を、東条は抑え切ることができなかった。二重権力を超越できず、天皇と大本営、首相という自らの立場の板挟みになり苦悩する東条の姿を描き切った箇所は、本書の白眉といえる。

また、原爆投下以外はほぼ予測していたというほど高い精度だった総力戦研究所の「日本必敗」という結論も、結局、時を経て事後的に証明されたに過ぎない、という事実も見逃せない。歴史とは過去への遡及で成り立っている。どんなに「客観的」で「正しい」データがあろうと、常に歴史のただ中にいる人間にとって、今この時、何かを選択する、あるいは選択しないという決断は、「主観」の中でしか下すことはできないということだ。
本書が示唆する問題も極めて「正しく」、教育的である。しかし、震災後の今、止めどなく押し寄せるあらゆる「正論」を前にした時、本書が示す「正しさ」はあまりにも自明であり、むしろ途方に暮れされるものでもあった。

(猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』中公文庫、2010年/原著:世界文化社、1983年)