2011年11月19日土曜日

死についての連想(大塚 あすか 作文)

祖母の夢を見た。車いすを押して、わたしはどこかへ行こうとしていた。夢の中の祖母は驚くほど軽く、段差に差しかかると車いすごとたやすく持ち上げることができる。

年末年始に、施設から外泊許可をもらった祖母と過ごした。ごく短い距離ならば自分の足で移動するものの、祖母はほとんど座ったまま、ぼんやり宙を眺めていた。会話をすればたまにとんちんかんな答えが返ってくるし、こちらの言葉を聞きとれないこともある。車いすを押して初詣に行きたかったのに、風邪を引かせるのが怖くて外に連れ出すことなく終わった。それを後悔しているから、いまだにあんな夢を見てしまうのかもしれない。

先日会った友人が寝たきりである彼女の祖父について発した「もう、いいよね」という言葉を冷たいと感じなかったのは、かつて病院で子どものように小さくなった祖父を前に、わたしも同じことを思ったからだ。がんの手術後も頭はしっかりしていた祖父は、排泄のコントロールができなくなると同時に痴呆症状を見せはじめた。そこから食事を摂る力を失い、亡くなるまではあっという間だった。おむつ着用を余儀なくされ、プライドの高い祖父は正気を保つことに耐えられなかったのだろうと、わたしは確信している。だから、あそこで亡くなったことは祖父にとって幸せだったのだと。

祖父の夢を見る。かつて家を訪れたときと同じように、のんびりと居間のこたつで話をする夢ばかり見る。わたしは祖父と十分な時間を過ごし、十分な関係を築いてきた。そして少しずつ別れの準備を積み重ねてきたからこそ、こうして寂しさなしに思い出と向き合える。「じゃあ、またね」と、笑顔で手を振り祖父の家を後にしたのと同じ調子で夢から覚めることができる。

悔いのない別ればかりではない。二十一歳のときに、幼なじみが交通事故で死んだ。現実を理解してなお、わたしは今も彼女の死を消化できていない。ときどき見る夢の中で、同じように年を重ねた彼女と過ごし、目覚めた瞬間、落胆する。祖父の夢を見た後のやわらかい気持ちとは正反対の喪失感にさいなまれる。

初めて人の死に立ち会ったとき、幼いわたしは重苦しい空気を感知できずにいた。祖父の長兄が布団に横たわり、顔には白い布がかかっていた。はとこの美保ちゃんが飼い猫を抱き上げ、おじいさんの上にかざしながら脅かしてくる。「あーちゃん、ミイが乗るとじいちゃんが起き上がるよ」、猫がまたぐと死人が起き上がるという伝承を知ったのはそのときだ。鬼ごっこのように騒ぎ、やがて周囲の大人に叱られた。それから二十年ほど過ぎた頃、葬式に出る機会が増えたわたしは喪服をあつらえた。

十月末、H氏の訃報が届いた。「想像上の一人娘と暮らしています」という自己紹介とともに絵と短文でブログを綴る彼は、聡明ではにかみ屋で、寂しげだった。当初から自虐や絶望を口にすることが多かったが、ユーモアあふれる語り口と「想像上の一人娘」の存在により、切実さはフィクションに昇華された。しかし、怪我や病気を経て、いつしか彼が架空の娘を介して語ることはなくなった。自身の苦しみを客観し、笑い飛ばす余裕が失われる様を痛ましく思う反面、その気持ちを悟られないよう努めた。H氏を知る人々は皆、いつか彼が絶望に飲み込まれる日が来るのではないかと危ぶんでいたように思う。そして今、何とも言えない重苦しさを背負い、彼の平安を祈っている。

H氏は映画や本に関する知識が豊富で、わたしが何かに興味を示すたび、世界を広げる助けとなってくれた。彼が紹介してくれる本の中には単行本未収録、絶版などの理由により手に入りづらいものもあり、そういえば、彼が最初に教えてくれた小説すら、わたしはまだ探せないままでいる。いつかどこかの古本屋で「小説新潮臨時増刊’85SUMMER」を見つけ、高橋源一郎の『優雅で感傷的なワルツ』を読むことができたら、わたしは彼を思って泣くだろう。

幼い頃、恐ろしい想像で眠れなくなる夜があった。思い浮かべるのは、テレビで見た吸血鬼キョンシーや、世界が破滅するという大予言のこと。恐怖の対象は常にイマジネーションの世界にあった。しかし大人になった今、恐れるのは現実的なものばかり。老いや死について考えることが増え、去られる怖さや去る怖さが身近になると同時に、それらに対する鈍感さも身につけた。大切な人を亡くしたら悲しみで生きていけないと信じていたわたしは、自分が近しい人の死に耐えられると知ったとき、心強さよりむしろ寂しさを感じた。しかし、望もうが望むまいが、わたしはこれからなお多くの死や別離を受け入れていくことになる。死を受容することに慣れ、今以上に鈍感になっていくだろう。

死についてつらつら考える。答えなど出るはずない。ときおり、生死の境がゆらぐ。生きている人だろうが死んでいる人だろうが、大切な人たちがいる場所は他のどこでもない、わたしの中。