2011年1月26日水曜日

詩人とその妻、地獄行 (大塚あすか書評)

詩人金子光晴の自伝である。三部作の一作目となる本書の前半には詩人としての低迷から妻との出会い、後半には夫婦で渡った海外での生活が描かれている。

詩集『こがね蟲』で文壇に認められたものの、その後詩作に行き詰まっていた金子は女学生森三千代と出会い恋に落ちる。燃えさかる恋情、妊娠と結婚。しかし蜜月は長く続かず、金子が上海に出かけている間に、彼女はコミュニストの学生と恋に落ちる。どん底の金子は愛なのかもわからぬ執着により三千代を引き止めようとするが、子供可愛さに体だけは家庭に留まりながらも、彼女の心は恋人を離れない。切羽詰まった金子は三千代が憧れるパリへ連れ出すことで妻と恋人とを引き離そうと試み、五年間にわたる海外漂流がはじまるのである。

日銭を稼いでは浪費し、人に金を無心してはまたそれを浪費する生活。渡航先でも食い詰めればポルノまがいの小説を闇で売りさばき、果てには素人絵で小銭を得るようになる。詩人への憧れもあって彼と一緒になった三千代にしてみれば、詩を書かぬ夫など話が違うわけで、理想主義の学生に惹かれる気持ちはわからなくもない。だが、三千代は離婚を選ばない。それどころか愛する子供を置いて金子と二人、十分な金銭もなしに海外へ向かうのだ。三千代の思考、行動には得体の知れなさが付きまとうが、「女の浮気と魅力とは背なか合せに微妙に貼付いていて、どちらをなくしても女は欠損する」という言葉そのままに、金子はますます三千代への執着を強くする。

手に手を取って地獄を生き抜く男女の姿は生々しくも美しく、地獄そのものすらグロテスクな美にあふれる。汗、食べ物、汚物の臭い。人の生きる臭いがぷんぷん漂う金子の感性、文章はまぎれもなく詩人のものであり、書けないあいだも彼がいかに詩人であったかが強く印象に残る。

『どくろ杯』とは、処女の頭蓋骨を切り、磨き、内側に銀を貼った杯である。その杯に魅入られるが買い取る金を持たないガラス職人。だったら自分で作れば良い、と軽い気持ちで口にした金子のもとを後日訪ねてきた彼は、自作のどくろ杯を携えていた。墓を堀り、処女らしき頭蓋骨を持ち帰り加工したのだが、それを部屋に置いて以来どうも心身が優れない。恐ろしがる彼に付き添い金子はどくろ杯を元の墓に戻しに行く。エロスと禍々しさに満ちたエピソードには、本書に一貫して流れる空気や色が濃縮されている。

(金子光晴『どくろ杯』中公文庫新版、2004年)