2011年1月31日月曜日

意想外な贈りもの (大洞敦史作文)

君にまた会えて嬉しいよ。丸みをおびて一見ひとなつっこそうな、よく見るとひどく冷めきったその顔つきを、この頃とんと見かけなくなり寂しく思っていた。元気にしているかい。まずは冷たいコーヒーで乾杯しよう。例のごとく一息で飲み干そう。僕たちはどうして熱いものが飲めないのかな。左足の水虫は治ったかい。僕ほど深く君を知る者は無い。今では共有するものもだいぶ少なくなったけれど。十五年前に君と知り合えていたらどんなに良かっただろう。あのころ君であった僕が、僕になる前の君に出会っていたら。

それにしても、この喫茶店も懐かしいなあ。星占いのおもちゃ、たまごっちで遊ぶ女子高生、野茂の活躍を称えるご隠居さん。BGMはセリーヌ・ディオン、時折どこかでポケベルが響く。ここは君にとって大人の生態を観察する格好の場所だった。互いに白じらしい無関心を装いながら周囲のおしゃべりに聞き耳を立てていられるのは喫茶店の醍醐味のひとつだろうね。

君が無口でいるのはなにも声変わりのせいばかりでないだろうけど、せっかくだから何か話そう。でも世間話にはお互い馴れていないから、僕らの間でしかできない話をしよう。そうだね、感情とその表出について考えてみようか。いったい人の感情は生得的なものなのか、それとも周囲との関係を通して獲得されていくものなのか? 僕は赤ん坊に接した経験がほとんど無いし心理学の素養も乏しいが、少なくとも幾つかの感情が後天的に消失される事は有りうるという実感をもっている。その証拠に僕らは、笑うことと怒ることが上手にできないだろう。何かを可笑しいと思う気持ちはあっても、それをどのように表出すべきかが、おそらくは六歳あたりから解らなくなったんだ。

すでに君の倍以上の時間を生きたはずの僕だが、うまく笑い声を発する自信は未だにない。作り笑いを浮かべるのにはだいぶ馴れてきたけれど、目が笑ってないねなんて冗談交じりに言われるたびにギクリとする。怒りに関して言えば、暴言を吐かれたり、暴行を加えられたりしても特にこれという反応は生まれないし。あるとすればそれは相手への同情で、当人の安寧を乱す厄介な情動が早く収まるようにとの願いだ。

そんな鈍感な僕だけど、かなり特殊な部類に属するであろう感情を味わう事がしばしばある。君はもう経験しただろうか、あの絶頂を? 僕はかつてシモーヌ・ヴェイユというフランス人の日記に、それと同様の体験が描写されているのを見出した。過酷な女工生活を送っていた彼女は、ある日バスのなかでこんな疑問をいだく。奴隷の身である自分が他の誰かれと同じ資格でバスに乗っていられるのはどういう訳だろう、と。そうして「何も手荒な扱いを受けず、何も辛抱しなくてよい瞬間があると、それがまるで恩恵のように思える。そういう瞬間は天から下ってくる微笑のようなもの、まったく意想外な贈りものなのだ」という心理に至るんだ。大きくうなづいているところを見ると、すでに君も味わったことがあるんだね。ではひとつ、例の「贈りもの」が僕らの上にもたらされた経緯を振り返ってみようか。

小学校の入学式は、夜の静寂を愛する君が初めて迎える日の出だった。これからの六年間すなわち今の僕にとっての四半世紀にも等しい歳月を、言葉もろくに通じない動物の群れと膝つき合わせて過ごして行かねばならない事を悟った時の戦慄と絶望は底が知れない。とはいえ担任の女教師の存在が厭世感をいくらか和らげてくれたし、心を許せる友もできた。草むらに足を踏み入れたり、大きめの石ころをひっくり返すと、彼らはいつでもそこにいた。君の鈍感な性格を最も直接に形作ったのは正に彼らではなかったろうか? 眼鏡をかけている事、姓の読みかたが父と異なる事、母親がいない事などが時にからかいの種になる事はあったが、四年生まではおおむね平穏に過ごしていたね。野球と、虫遊びと、叶うはずもない薄紅色の空想に明け暮れていた。

人間の友だちもいなかったわけじゃないが、五年生に上がる時のクラス替えで仲の良かったグループから君だけが取り残されてしまって以来、休み時間には机に両肘をついてぼんやりする事が多くなった。まもなく君は君と同じようにぽつんとしていて、同じように笑うことを知らないYという男子生徒から日常的に暴行を加えられるようになる。朝方教室に入ってから下校時帰り道の分岐点まで彼は執拗に君につきまとい、拳をふるった。授業の合間の五分休憩のたびに二、三十発は殴打されていたね。君はそれを天災のように受け止めていて、いかなる時にも徹底した無抵抗をもって答えたが、そうした態度は学校教育にとって危険視されるものだったらしい。Yのふるまいが目に余る事態に発展するたびに担任だった三十代後半の運動好きな男性は職員室に二人を呼んだが、責め立てられるのはたいてい君のほうだった。拳に対しては拳をもって応えることが陰に陽に期待されていた。初めのうち君をかばっていた同級生たちも、君の不甲斐なさに落胆して干渉しなくなり、やがてあからさまな軽蔑の色を見せるようになっていった。それは彼ら自身の身を護るための手立てでもあったろう。ただし女子たちはいつも味方だった。Yと二人きりで殴られている時には何の感覚もないのに、女の子の目の前だとどうして水っぽい何かが君の瞳から溢れてきたのだろう。

五年生になると電車で遠くの町の学習塾に通い始めた。君が教室に入ると決まって三人の男子が一番後ろの列に陣取っていて、君がどこかに座ると直ぐに後ろに回り、授業のあいだじゅう君の背中をシャープペンシルの芯で突き続けるのだった。この時にも、服の背中に付着する黒鉛を家族が見つけて不信に思わないよう後でしっかり消しゴムで消しておこうという思いの外には、これという想念が湧いてくるわけでもなかった。

六年生から受験志向のより高い塾に移ったが、そこでも痛々しい事態が待っていた。家の近くには競輪場があって、開催日の駅のプラットホームは荒削りな風体のおじさんで溢れかえる。塾へ向かう道すがら、酒の匂いの漂うホームの縁にたたずんで近づいてくる電車を見つめながら、あと二、三歩足を前に踏み出したら数秒後にはどんなに楽になるだろうと想像した。午前零時に電灯を消して布団に潜り込む。かぎりなく優しくかつ享楽的な暗闇という泉の底で、君はあの贈りものを受けとったのだ。暴行を受けたり、その痕跡を隠す事に腐心したりしなくてもいいこの状態を尊ぶ気持ちの外には何の理由もなしに生じる恍惚に君は酔いしれた。眠りに就くのが勿体なくて仕方なかった。眠ってしまえば朝が来る。なるべく長く起きていようと努めつつも疲れきった神経は否応なく休息を要求し、夢に陥ればYの機械的な甲高い笑い声がこだました。半睡状態で闇からしたたる樹液を吸い取っている最中、どこからともなく大勢の笑い声やら耳をつんざく轟音が聴こえてくる事があって、そんな瞬間にはガバッと身を起こして意識が肉体から遊離するのを防がなければならなかった。一夜あけて目を醒ますと、忌まわしい陽光が燦然と頭上に降り注いでいる。

そろそろ塾の時間だね。最後に君に伝えておきたい。晩秋の雑木林の濡れ落ち葉のようにうず高く忍従を重ねる日々は、教室の壁に掛けられたプラスチックの数字板が3・2・6を示した日に幕を閉じるだろう。解放感に浸るのも束の間、翌月には横浜にある中高一貫男子校の入学式で、六年前と同じ戦慄を味わう事になる。今度こそ真っ平ごめんだと、僕はそれから三ヶ月経たないうちに通うのを止めてしまったよ。それは犬のふんを踏みそうになったとき宙に上げた足をとっさにずらすような行動だったが、これを境として僕はみずからの意思の所在をはっきり意識し始めるようになった。さっき僕は天災という言葉を使ったが、僕が君である頃は身の回りに生起するできごとを、一種の映画のように介入不可能なものとしてとらえていたような感じがする。ある人が言った。泳ぐことを憶えるためには、初めに溺れなければならないと。

塾まで送るよ。黄昏の路上を行き交う人々の仏頂面が、とても優しいものには見えないかい。誰からも危害を加えられずにいられるって、しあわせだね。さあ、誰よりも速く歩こう。学生服の一団を、派手な出で立ちのお姉さんを、手をつないで歩く恋人たちを、どんどん追い越して行こう。バスに乗るまでもない。靴底で地面を叩く音こそが僕らの笑い声だから。