2011年4月6日水曜日

奇妙、でもピュアな愛の話 (スガモリアサコ書評)

恋愛小説集ではなく「変愛小説集」だ。本書は、翻訳家である岸本佐知子氏が現代英米文学の中に埋もれていた中から拾い上げた、ヘンテコな愛にまつわる話を集めたアンソロジーである。

木に恋をする、人を丸ごと飲み込んでしまう、全身に歯が生える病にかかる、どれもこれも奇妙な設定の話ばかり。それにも関わらず、読んでいるうちに心が揺さぶられ深く共感してしまうのは、愛する気持ちの切実さ、人の心の複雑さ、人間関係の困難さがリアルに描かれているからだろう。

「僕らが天王星に着くころ」(レイ・ヴクサヴィッチ)は、皮膚の一部が宇宙服に変わり、やがて宇宙に飛び立ってしまうという流行り病に罹った夫婦の話。妻のモリーが先に発病し、夫のジャックも遅れて発病するがモリーの病気の進行に追いつかない。二人が一緒に飛び立つことは難しい。モリーは別れなくてはならないことを既に諦めているが、ジャックは別れを受け入れられない。モリーの宇宙服が完成し、いよいよ飛び立つ瞬間、ジャックは叫ぶ。
「こんなの嘘だ!」
「これはきっと夢だ。だって理屈に合わないじゃないか、いろんなことがまだ途中なんだ。」
運命の非情さと身を引き裂かれんばかりの叫びに、胸の奥までギュッと締め付けられた。

「彼氏島」(ステイシー・リクター)は、女子大生ギャルが船の沈没事故に遭い、漂着した孤島にはイケメン男子しか住んでいなかったという話。彼女はたくさんの彼氏たちと付き合う。彼氏たちはそれぞれに魅力的で彼女に優しい。なのに、どうしてもしっくりこない。彼女は言う。
「あたしは彼氏たちから何かを、とらえどころのない、小さなかけらのような何かを取り出したかった。でもどんなに注意深く彼らと寝ても、それが手に入ったと感じる瞬間はなかった。」
彼女は遊んでいるようにみえるが真剣なのだ。恋愛だけじゃ満たされない。本当の幸せって何だろう?と自問自答を繰り返す。本当の幸せを求めずにはいられない女子の気持ち、わかるなぁと頷いた。

変愛小説集の登場人物たちはひたむきに愛を求めるが、いわゆる恋愛小説にあるようなハッピーエンドは訪れない。彼らは相手が不在であることへの喪失感、思い通りにならないにならない現実へのもどかしさを抱えつつ、それでもなお生きていく。その姿に私は励まされた。読後は切なさと温かさがないまぜになった複雑な感情が残る。余韻が心地よい。

(岸本佐知子編訳『変愛小説集』講談社、2008年)
(岸本佐知子編訳『変愛小説集2』講談社、2010年)