2011年4月2日土曜日

休日、本屋が「しま」をめざす理由 (大内達也作文)

本屋で働いている人って、やっぱり本が好きで好きでしょうがない人たちなんだなと、つくづく思う。

小学生のころ、近所によく焼き芋屋さんが売りに来ていた。「おっちゃん、焼き芋好きだから焼き芋屋になったの?」と聞いたら「馬鹿だな坊主、焼き芋好きだったら芋ばっかり食って商売上がったりだろ。芋は苦手だね」と返され、そんなもんかと納得したものだ。しかし、芋屋と本屋はちがう。

書店員の薄給が業界の定説なのはともかく、長時間立ちっぱなしで、重たいダンボールの持ち運びで大抵は腰をやられてる。検品、仕分け、棚入れ、発注、棚整理といった雑用(と言ってはいけませんね、ごめんなさい)的仕事が九割で、創造的な仕事とやらは一割もない。あんなにたくさんの魅力的な本に囲まれているのに、そもそも仕事中は一行たりとも本を読めない。なぜかって? 山積みになった仕事を片付けるのに精一杯で、本を開いている余裕がないのだ。

そういう意味では、本好きにとっては見込み違いもはなはだしい職場なのだ。ハタと立ち止まって「こんな筈じゃなかったのでは?」と考える暇さえないのがかえって救いだったりして。

それでも、それでもですよ。隙を見つけては本の表紙や帯の文句をチラチラッと眺めたり、人目を盗んでページをパラッと開けてみたりする。なにしろ気になる本があちこちにある。ゆっくり読めないから余計気になる。休憩時間になったら、もう我慢できない。ささっと食事を済ませて、売場に直行。当たりをつけていた書棚を物色する。そんなこんなで、休憩時間に店内を徘徊する店員が目につく。休憩時間だけじゃない。出勤前と仕事上がりにも店内をうろつく書店員が目立つ。あ、あいつまたこんなところに、と思っても知らん顔で通り過ぎるのだ。至福の時間を邪魔しちゃ悪い。

なんと休みの日にも本屋に行く書店員が多いこと多いこと。みんなで休みの日を申し合わせて一緒に古本屋巡りをしたりしている。さすがに自分の店に行く人はいないが、「きのう~書店行ってきました……」「え、私もおととい行ってきたよ」なんて盛り上がる。他の本屋に行かないような書店員は失格だと宣言した大先輩がいたけれど、別に勉強しに行ったり「盗み」に行っているわけじゃなく、ただ好きで行っているにすぎない。困るのは、せっかくウキウキ気分で新しい本屋を訪れたのに同僚と鉢合わせすることだ。本に没頭すると周囲に対する警戒心がぐっと薄れてガードが甘くなる。そんな時、ふと気付くと顔見知りが隣に立ってニヤニヤ立ち読みしてたりするから油断ならない。そおっと、本を棚にもどして静かに立ち去らなくてはならない。

書店員はなぜ休みの日にまで本屋に行くのか。本と最も近いはずの書店員が、日常業務に押されいつの間にか本と遠く離れてしまっているからではないだろうか。そんな本との距離を縮めたくて、書店員は休みの日に本屋へ行く。

休日は近場の大型書店に行く気になれず、遠くのこじんまりした個性的な本屋に行く。ふだんは物理的に近いのに本との距離が遠くなっているので、逆に、物理的に遠い場所に出かけることによって本との距離を縮めようと考えてのことだ。

一軒目は少しばかり遠出しよう。東京駅から横須賀線に乗って小一時間。三浦半島西側、相模湾に面した逗子という駅で降りる。そこからバスに乗って三〇分ほど、秋谷海岸を越えて峯山バス停で降車。そこはもう目の前が海。冬晴れの日は空も澄み切ってすがすがしい風が流れてゆく。国道の陸側は切り立った小山になっていて、かなり急な坂を登らなければならない。案内などは見当たらず、周囲は畑と民家ばかりで人気がない。危惧していたように目的の場所を見失い、小山を上りきってしまった。息も絶え絶えだ。けれど、なんて素晴らしい眺めなんだろう。遠くに見える大型船が切り裂く波がキラキラ光って美しい。道に迷ってあせっているはずが、なんとも穏やかな気分になる。

四〇分ぐらい探し回った末、どう考えてもここしかないという民家への径を入って行った。それらしき表示があるが、なにせ初めてなので確信がもてない。裏庭に回ってみたが、暗くて中がよく見えない。「すみません、どなたかいますかー。す、み、ま、せーん」何度呼びかけても、むなしく誰も出てこなかった。扉は固く閉ざされ、臨時休業の看板も「ちょっとそこまで買物に行ってきます。三〇分ほどで戻ります」といった張り紙も貼っていなかった。

当然のことながら、営業日と時間はホームページで念入りに確かめた。さらに、「サウダージ・ブックス」というそのブック・サロンをやっている人からの、イベントの案内を同僚が受けたという話も聞いた。まさか、営業していないなどとは考えなかった。見込み発車的にここまでやってきてしまったぼくが悪いので、腹も立たず、まあ、こんなこともあるさ、といった気分だ。「サウダージ(郷愁)」という命名、海辺の景色、民家でくつろぐ読書、といった事前情報から想像するに、さぞかし気持ちのいい「本の空間」を体験できると期待しただけに、少し残念ではある。

気を取り直して、二軒目へ。下町は深川資料館通り商店街にある「しまぶっく」。最近できたばかりなので初々しい雰囲気だ。屋号でわかるとおり、この店のキーコンセプトは「島」。こちらも、今福さんの「群島論」に触発されて企図された本屋だという。店主の渡辺さんが熱狂的なサッカーファンなのでマラドーナの本とかがあって、そこはご愛嬌なんだけれど。

四間はありそうな広々とした間口が魅力的だ。見渡すと、芸術、人文、文芸中心の品ぞろえ。渡辺さん自身の眼鏡にかなった本ばかりが並んでいるので屑本が全くない。「一〇〇円のしま」にある本さえそそるのだ。面白いのは和書は古本、洋書は新刊という仕入方針で、いわば古本屋なのに買取りはやらない。売れても同じ本を仕入れられない古本で棚を維持するのは至難の業で、核となる本が売れれば全体の構成が崩れる。それをひょいとやってのけてしまうのだから、恐れ入る。

実は渡辺さんとは数年間同じ本屋で働いた仲でもあり、彼があちこちを転々としていた間、ずっと気になっていたのだ。棚をつくらせたら驚くような凄腕をもっているのに、一緒に酒を飲むと「もうやんなっちゃったよ、仕事辞めて沖縄でゆっくりしたいよ」みたいなことばっかり言うやさぐれオヤジなのだ。会社組織みたいなものが、つくづく性に合わないんだろうな。ある意味サラリーマンのほうが気楽なことも多いのに、独立して店をやろうなんて結構なエネルギーもいるし、リスクも大きいだろうに。

下町の変化のゆるやかさが彼の志向する「辺境性」にマッチしていて、とても居心地のいい空間になっていると思う。渡辺さんは書店員というより、本屋のオヤジなのだ。ようやく、彼本来の居場所を見つけたのかもしれない。「仕入れは大変でしょう?」と聞いたら、「でも毎日が楽しいよ。何しろストレス・ゼロだからね」と満面の笑みで答えた。たしかに店主と本との距離が近い。地域とも密着している。ぼくらの求めている答えの一つがここにある。なんだかとても羨ましくなって、そそくさと店を後にした。