2011年12月12日月曜日

三匹の黒いパックマン(大洞 敦史 作文)

ここは東京郊外にある某大学の一ホール。「3班」と書かれたプラスチックの三角柱が置かれたテーブルには、女性二人と男性四人、そしてぼくが座っている。ぼくの向かいの席のAさん――三十歳位の大柄な男性で、いつもほほえみをうかべている――が「だいどーくん、知ってる?」とぼくに話しかけた。が、つづきがいまいち聴きとれない。机から身をのりだして耳をかたむける。ある消防団が、消火訓練のときに何かを燃やす実験をするという話のようだった。曖昧なあいづちを打ちながら聞いていると、話題はいつのまにかガラガラヘビの生態に変わっている。「時間になったので始めましょう」と、白衣を着た五十歳位の男性がマイクごしに皆に話しかけた。

この日ここでおこなわれるのは、一般に知的障害者と呼ばれている人たちを対象にしたワークショップだ。参加者は総勢六十名くらい。そのなかに、授業の一環として参加している大学生が十五名ほど混じっている。参加者の周りには白衣のスタッフが十数名、会場の後ろのほうでは参加者の家族と思われる人たちが十名ほど座っている。

ぼくは以前大学院で受けた生涯学習の授業で、この講座の主催団体の二十年間の歩みについて学び、その後主宰者の一人と連絡をとるようになった。その方に誘っていただいたことから、ぼくもこのワークショップに参加することになり、この日が初めての参加だった。

今回の主旨は、色々なゲームを通じて人づきあいのスキルを身につけよう、というものだ。

おもしろかったのは「伝言お絵かき」(とここでは呼んでおく)。二人一組になり、さらに絵を描く人と説明をする人にわかれる。絵を描く人は会場のスクリーンを背にして座る。もう一人はスクリーンにあらわれたイラストを、言葉だけで相手に伝える。描き手はその説明をたよりに絵を描いていく、というもので、元の絵をどれだけ正確に再現できるかという点が競われる。

ぼくはBさん――四十歳位のもの静かな男性――とペアになった。まずはBさんが説明し、ぼくが絵を描いた。家があって、屋根の上に猫がいて、カベには窓とドアがあり、家の横に木が一本立っていて、上のほうには目と口のついた太陽がある。彼の説明はわかりやすくかつ的確であり、こまかい部分をのぞけば、ぼくらの描いた絵は元の絵にうりふたつだった。

役割交替。スクリーンにあらわれた絵、というよりは図形を見て、めんくらった。これを一体どう説明したらいいんだろう? 白地に、切れ込みの入った黒い円が三つある。それら三つは、それぞれの中心点を結ぶと正三角形になるように、またそのうちの一辺がスクリーンの下辺と水平になるように置かれている。三つの円の切れ込みはいずれも内側を向いている。三匹の黒いパックマンが向き合っている格好だ。切れ込みの両辺は、見えない正三角形の辺と重なっている……。五分くらいの制限時間いっぱい、ぼくはこの絵を一生懸命ことばにし、Bさんもぼくのつたないことばを懸命に図像化した。真剣勝負の五分間だった。結果、Bさんの書いたイラストが元の絵といかに似ていたかは、にわかには信じがたいほどだった。

休憩時間中、ブラスバンドに入っているというC君が「ここに来ている人たちは、どんなハンディキャップをもっているのかな」とつぶやいた。そばにいたスタッフが「そんなの関係ないよ」と力づよく答えた。スタッフには内モンゴル出身の女の子がいたので、ぼくはサエンバイノー、とかバヤルララー、など知っているかぎりのモンゴル語を並べたてて笑わせてみた。

最後のゲームの流れは、まず「宴会に遅刻してきた人が話の輪の中に入ろうとして失敗する」という映像を見て、その行動のどこがよくなかったかを紙に書く。その後グループごとに実際にその場面を演じてみる、というものだ。ゲームで紙に文字を書くのはこれが初めてだった。Aさんの書く字は一文字の直径が二センチ位あり、その隣のC君はまるで米粒にでも書くかのように細密な字をぎっしり並べている。意外だったのは、Bさんが何も書かないことだった。字を書く機会は四回あり、十九歳の女子大生Dさんがなにかと彼に声をかけてあげても、とうとう彼は一文字も書かなかった。それでいて話す段になると、すこぶる饒舌なのだ。

ゲームの後にアンケート用紙が配られた。大学生用と他の参加者用の二つがあって、後者は片面一枚だが、ぼくの前には両面三枚の用紙がおかれた。ぼくに対するC君の疑問は、これによって解消されてしまった。

閉会が告げられるやいなや、年配のご婦人がBさんのもとに駆け寄るようにしてやって来て「よくがんばったね、ずっと後ろで見てたよ。さ、帰ろう」と彼に言った。