2011年12月23日金曜日

「寄り添うための哲学」(大塚あすか 書評)

家族と暮らすことができない子どもたちの生活の場である児童養護施設。哲学の一分野である現象学を手がかりに、二人の研究者は子どもの心に寄り添おうとしてきた。本書では、彼らが自ら体験した子どもとのやりとりや立ち会った場面に、ハイデガーやサルトルの現象学的解釈を丁寧に重ねあわせてゆく。

第一章では、施設にやってきた子どもが抱く不安と、新しい環境に折り合いをつけていく過程が、日常の営みや道具との関わりを通して紹介される。第二章で描かれるのは「世間」を意識しはじめた思春期の少女達。施設外の子どもたちと自身の環境を比較して苦しむがゆえに、彼女たちは普通であることを強く望む。結果、施設の仲間同士が過剰な均一性を求め合うようになり、生活の場に息苦しさが漂いはじめてしまう。そして、第三章。虐待を「しつけ」と受け止めることで家族との関係に救いを求めていた少女は、自らの過去を正面から捉え直すことで、新たな可能性を歩み始める。

現象学という一般的でない言葉は、この本の敷居を高く見せるかもしれない。ハイデガーやサルトルの名を聞けば、難しい哲学理論をイメージして顔をしかめる人もいるだろう。しかし、本書の目的は学術的な議論ではなく、あくまで子どもの心に寄り添うことだ。離別や死別、虐待といった理由により家族と別れざるをえない子どもは、その辛さをどのように受け入れ、どのように自立への道を探るのか。平易な言葉で、日常にごくごく近い感性で語られる哲学は、きわめて自然なかたちで読む側にも寄り添ってくる。

ときに登場する子どもに自分を重ね、ときに子どもたちを見守る養育者や著者に自分を重ねながらこの本を読み進める。するといつの間にか、子どもたちが何かに期待し、それが叶わず落胆もしくは激怒するときの心の動き、彼らが孤独を噛みしめ苦しみに耐えようとする態度が、自身が苦難に立ち会ったときのそれと同じであることに気付いている。また、養育者らの立場に寄り添えば、悩み苦しんでいる他者と接することやコミュニケーションのあり方について考えずにはいられない。わたしなら、どのようにして他人の辛さと向かい合う?

他人の心の動きに思いを馳せることは、鏡をのぞきこむこととよく似ている。これは、児童福祉について書かれた本でもあるし、現象学の本でもある。その一方で、わたしたちが自分と向かい合うための本にもなり得るのだ。

(中田基昭編著、大塚類/遠藤野ゆり著『家族と暮らせない子どもたち~児童福祉施設からの再出発』新曜社、2011年)