2011年12月26日月曜日

被ばくを「見る」(原 瑠美 書評)

自らも被ばく経験を持つ医師と、世界の被ばく問題に関するドキュメンタリーをいくつも手がけてきた映像作家の共著である。いまだ専門家の間でも定説が出ていない内部被爆の危険性について、肥田が医学的見地からわかりやすく解説し、鎌仲が被害の世界規模での広がりを浮き彫りにする。

本書が書かれる六十年前、原爆投下のときに広島市郊外に居合わせた肥田は、その瞬間とその後目にした光景を克明に記憶している。突然の熱風に思わず這いつくばったまま見上げた空には巨大な「きのこ雲」。焼けただれた人々の群れや、村を埋めつくすほどのおびただしい負傷者。直爆により死んでいく人たちの治療に追われながら、肥田はある異変に気づく。原爆投下からしばらくたって広島に入市し、一見被害を受けていないように見える人が被害者と同様の症状を訴えるようになったのだ。内部被曝の症状だったが当時は全く原因がわからない。その後の人生をかけて、肥田はこの問題に取り組むことになる。

一方、鎌仲はイラクに関するドキュメンタリー番組の制作に携わって被ばくに興味を持つようになった。取材で訪れたイラクではあちこちに放置された劣化ウラン弾からの被曝で、子どもたちが必要な薬も手に入らないまま白血病で亡くなっていく。アメリカはそれでも低線量の被ばくは人体に影響はないとして核弾頭を作り続ける。兵器の材料を得るために原子力発電所を動かす。しかしそのアメリカにも核実験に巻きこまれた帰還兵や、原発周辺に暮らす住民など、数多くの被ばく者がいる。

核兵器の廃絶運動が進まないのは、「内部被爆への無知と無理解と無関心が根源ではないか」と肥田は語る。確かに、目に見えない内部被曝の脅威を実感することは難しい。しかし実際に苦しむ被ばく者を目の当たりにしてきた二人の著者の言葉は鮮明に被害状況を浮かび上がらせ、その描写には胸がつまり、手がふるえる。それでも読む。読むことによって見る。この「見る」という感覚こそ、私たちが差し迫った状況に立ち向かうための第一歩なのかもしれない。

あまりにも大きな問題に挑もうとすれば、反発もたくさん受けるだろう。これまで困難な核廃絶運動を続けてこられた秘訣を聞かれ、「楽しかったから」と肥田は笑う。「私が変わることで相手も変わり、生きる勇気を持っていられます。」途方もない規模で拡大している放射能汚染と正面から笑顔で対決していく、そんな力を身につけたい。

(肥田舜太郎/鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威—原爆から劣化ウラン弾まで』筑摩書房、2005年)